―161―に注目したい。『薔薇物語』の扉絵では、多くの場合、「夢見る人」は剃髪している(注16)。「夢見る人」は、修道士なのである。つまり、眠る人物は、『薔薇物語』の最初の著者であるギヨーム・ロリスに他ならないということになる。『薔薇物語』は、「私が二十歳の時…ある夜 私はいつものように就寝し、深い眠りに就いていた。その睡眠で私は とても美しく大変楽しい夢を見た」(注17)と、一人称で物語が始まる。ベットに横たわる「夢見る人」は、「私」と語るこの物語の語り手であり、ひいては、著者ということになる。言い換えるならば、冒頭の「夢見る人」の挿絵は、これから展開する物語が夢物語であることを伝えるとともに、この物語を著した著者像と言うこともできよう。夢見る人物の表現に焦点を当てて『薔薇物語』の扉絵を眺めるならば、興味深い側面が浮かび上がってくる。A・バラミールおよびG・C・ホリアンは、クーンが言及することのなかったウェールズ国立図書館所蔵の四点の『薔薇物語』を取り上げて分析を行い、クーンの分類で第一タイプに属する挿絵においても、時代が進むにつれて、焦点は、探求の目的であるはずの薔薇よりも「夢見る人」に移ることを指摘している(注18)。また、〔図12〕のように、ベットは野外にしつらえられているにもかかわらず薔薇の姿は描かれず、ベットと「夢見る人」だけが描かれている例もある。しかも「夢見る人」は夜着を纏うことなく、覆いもかけずに全身を表すことで修道士という立場を殊更主張している。こうした表象によって「夢見る人」が物語を語る当の本人であることが強調され、挿絵の焦点は、「夢見る人」=語り手=著者を宣言することにあるように思われる。クーンの六つのグループを通して、「夢見る人」=語り手=著者を強調する「夢見る人」の姿は散見される。クーンは六つのグループを分類したあとで、書見台に座る著者像にわずかに触れている。実は、クーンがさして踏み込んで言及することのなかったこうした著者像は、『薔薇物語』の扉絵としての役割を考える上できわめて示唆に富む。クーンの六つの分類にはあてはまらない一連の挿絵が存在する。例えば、ポール・ゲッティ美術館所蔵の『薔薇物語』の冒頭に置かれたベットに横たわる二人の人物がそれである〔図14〕。右側の戸外に据えられたベットに横たわるのが『薔薇物語』の扉絵に通常登場する「夢見る人」である。一方、左側でやはりベットに横たわる王冠を被った人物は、夢見るスキピオ王を表わしている。『薔薇物語』のなかで語り手は、四世紀の哲学者マクロビウスの名を挙げ、彼がスキピオ王の見た夢の注解を著したことに触れており、それを絵画化したものだが、『薔薇物語』の「夢見る人」とマクロビウスのスキピオ王を並置することで、『薔薇物語』の「夢見る人」をマクロビウスになぞらえて、「夢見る人」が語り手であり、かつ著
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