―162―『薔薇物語』の「夢見る人」に与えることになる。つまり、この扉絵は、「夢見る「夢見る人」=語り手=著者をより明確に表明することになる。この写本には、これとは別に、fol.28には書見台に座り書物を読む著者像が挿入され〔図16〕、fol.68vには二人の人物が向かい合い、本を手渡す場面が描かれている〔図17〕。fol.28に表されているのは著者ジャン・ド・マンの肖像であり、fol.68vはギヨームとジャンの両者を著した二重著者像である。通常、一点に絞られるはずの箇所のどちらにも著者像が置か者であることを伝えようとするばかりか、古典的な権威に裏打ちされたや正当性を人」=語り手=著者という側面を何にもまして強調したものと解することができよう。図像の如何にかかわらず、こうした一連の挿絵に一貫してみられる特徴は、「夢見る人」と著者が重ね合わせられているということである。「夢見る人」は、さまざまな写本の扉絵を飾るテーマとしてしばしば取り上げられる数ある著者像のヴァリエーションのひとつとみなすことができるのである(注19)。ところで、I・ウォーターズは、91点に及ぶ『薔薇物語』の写本を取り上げ、そこに描かれた著者像という観点から調査を行った(注20)。しかも、ウォーターズが調査した著者像は冒頭に置かれる「夢見る人」としてのギヨーム・ド・ロリスではなく、古代の著者像や福音書記者像を受け継いだ伝統的図像を取り入れた、第二の著者ジャン・ド・マンを表す著者像である。調査した写本のおよそ三分の二にジャン・ド・マンの著者像が挿入されていると報告されている。通常、ジャン・ド・マンの著者像が挿入される箇所は二カ所あり、一カ所はギヨームの物語の終わりの部分で、ジャン・ド・マンに交替する箇所である。もう一カ所は、物語のちょうど中間部分で、「愛」がギヨームの死について語る箇所である。いずれにしても、大半の『薔薇物語』写本には、「夢見る人」=語り手=著者を含意する冒頭の夢の場面と、新たな著者への交替を告げる伝統的な図像の著者像という、2点の図像が挿入されていることになる。この結果、写本を通して、著者という概念、あるいは著作という行為に焦点が当てられることになる。こうした傾向をとりわけ強調している興味深い例がある。パリ国立図書館所蔵のMs.fr. 1569の冒頭には二つミニアチュールが並置されている〔図15〕(注21)。右側に表現されているのは、「拒絶」を伴うお馴染みの「夢見る人」だが、左側には、書見台を前に講義する人物が表現されている。これは伝統的に扉絵のテーマとして描かれる著者像図像のひとつである(注22)。つまり、この冒頭の挿絵は、通常の夢物語の冒頭の「夢見る人」に加えて、伝統的な著者像を並置することで、れているのである。そればかりか、冒頭の「夢見る人」の隣に配された別のタイプの
元のページ ../index.html#171