―164―「夢見る人」は、物語の語り手「私」であり、著者ルネ王その人なのである。面を表象することで創作のプロセスを強調している。『薔薇物語』に2点の著者像を挿入することで強調されていたのは、著者の交替という側面だが、ここで強調されているのは、著作という創作活動と言ってもよかろう(注26)。ところで、ウィーン写本において〔図1〕、下方からの蝋燭の光に浮かび上がる、頬に手を当てた「夢見る人」の顔は、ベットが画平面に垂直に置かれていることでわたしたち観者へと向けられる。画平面に垂直に置かれたベットの側面のカーテンは、巧みなイリュージョンの操作によって画平面に水平におかれた開幕を告げる舞台の幕のようにもみえ、半ば開いたカーテンの背後から出現する「夢見る人」の顔はわたしたち観者と対面する。同時に、わたしたちはミニアチュールのすぐ下におかれたテクストを視野に入れる。「夜も更け/疲れ、悩み/深く物思いに沈み、私は寝床に横たわる…」と(下線筆者)(注27)。「私」と語る人物は、開いた幕の合間から顔をわたしたちに向ける「夢見る人」なのである。描写上の巧みな演出によって、「夢見る人」はわたしたち読者と対面し、あたかもわたしたちに語りかけているようなイリュージョンが生み出されており、物語の一人称の語り口が挿絵においても体現されている(注28)。視覚のイリュージョンの演出はさらに先へと進む。ベットの天蓋および後方の壁一面を覆う幾何学的な模様は、木の幹を様式化したものである。天蓋から続くこの様式化された木の幹は、画平面に水平に施された文様のごとくに画面の端から端まで続いている。実は、木の幹は、ルネ王がジャンヌ・ド・ラヴァルと二度目の結婚をした後に用いられるようになったルネ王のエンブレムで、王の所持する時祷書のある頁のイニシアルにも出現する〔図5〕。書物の所有者たちが所有の刻印をエンブレムで刻むことは当時盛んに行われた。しかし、このエンブレムは書物の所有の刻印ではない。夢の場面を飾るルネ王のエンブレムは人物が眠る寝室全体を覆っており、この寝室の所有者がエンブレムの保持者であることを示唆しているのである。すなわち、ベットに横たわる「夢見る人」は、「私」と語るルネ王その人に他ならない。『薔薇物語』では、夢見る著者像は個性化されることなく、きわめて匿名性の高いものであった。それに対して、ここではルネ王と特定された一個人の肖像となっている。『薔薇物語』で萌芽した著者に対する意識が一段と高まり、著者の自意識が強調されている。ウィーン版挿絵は、残念ながら未完で終わっており、後半部は挿絵のための空白を残すばかりである。パリ版との関係については未だ不明な点も多いが、両者が密接な関係にあることを考慮するならば、ウィーン版の最終挿絵にもパリ版に見られたのと同じような著者像が挿入されていたと考えても不自然ではあるまい(注29)。もし、
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