さらには素描と版画にも区別が設けられていなかったという。Caroline Karpinski, “The Print inThrall to its Original: A Historiographic Perspective”, in Retaining the Original. Multiple Originals,Copies, and Reproductions(Studies in the History of Art, 20), National Gallery of Art, Washington,1989, pp. 101−109.■端的な研究として次のものを挙げる。Michael Bury, “On Some Engravings by Giorgio GhisiCommonly Called ‘Reproductive’”, Print Quarterly, 10(1993), pp. 4−19; Michael Bury, “Beatrizetand the ‘Reproduction’ of Antique Relief Sculpture”, Print Quarterly, 13(1996), pp. 111−126.注Adam Bartsch, Le Peintre graveur, 21vols, Leipzig, 1803−21. 彼の見解は、パッサヴァン、ハインド、アイヴァンスら主要な版画史家によって現在まで受け継がれている。詳細は著者による次の書評を参考のこと。渡辺晋輔「David Landau and Peter Parshall, The Renaissance Print1470−1550(書評)」、『西洋美術研究』第11号(2004年)、200−207頁―9―特に興味深いのは、サヌートが原画の解釈の幅を広げることに自らの創意を注いでいる点であろう。ラファエロのモティーフは、「音楽競技」にまつわる古典の物語を想起させる一方で、当時の批評の構図もほのめかしているのだ。版画を見る人は、原画と同じく「音楽競技」の物語を論じることもできれば、ラファエロとミケランジェロのモティーフの比較によって芸術論を論じることもできるのである。サヌートはこの複製版画を制作することによって、原画を忠実になぞるどころか、逆に解釈の位相をずらし、作品を物語画の文脈から解き放っていると言えるだろう。もっとも、サヌートが意図したようにこの版画を解釈するためには、鋭い知性が必要であった。上記のシアマンの研究によれば、特権的な知を前提とし、解釈が作品の外側に開かれている点にこそマニエリスム期の宮廷美術の特質があるというが、この特質はフェラーラ宮廷の人々に宛てた本作にまさに当てはまる。そしてサヌートがラファエロのモティーフを導入したことも、結局のところは君主の知性の称揚に関わっているのだろう。彼は受け取り手であるアルフォンソ2世に当時の美術論を喚起させ、それを理解する君主を称揚しつつ、自らも当時の美術論を知悉していることを示したのではないだろうか。こう考えることによってようやく、アルフォンソ2世の称揚を意図したヴェネツィアのモティーフと、ラファエロによるムーサたちのモティーフ、そしてコレッジョ(ブロンズィーノ)の原画の意味がかみ合うのである。サヌートは複製版画であることを十分に利用しながら、宮廷美術のコンテクストに沿って当時の美意識を表現した。本作が創作版画か複製版画かというという問いは全く意味を持たない。本作は、創作版画と複製版画を対立する図式としてとらえてきた今までの版画史を見直す、ひとつのきっかけを与えることであろう。
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