鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
198/535

若尾政希『「太平記読み」の時代 近世政治思想史の構想』、平凡社、平成11年前掲註13若尾政希氏著作、29〜38頁、181〜250頁福田千鶴「江戸時代前期の政治課題―「御救」の転換過程―」、『史料館研究紀要』第25号、平 武将図(武仙図)と楠公図は、ともに旧大名家の売立目録に多く確認でき、賛者もともに林鵞■五十嵐公一「正徳度贈朝屏風の問題」、『塵界』第49号、平成15年2月―189―前掲註6前田勉氏著作のほか、劉長輝『山鹿素行「聖学」とその展開』、ぺりかん社、平成10 小沢栄一「近世初期における武家政治必然史論―鵞峰と素行と白石」、『日本歴史』第296号、■津軽伯爵家の売立目録(東京美術倶楽部、大正6年11月22日)には「松栄 武者畫帖」〔図12〕(現個人蔵)、松浦伯爵家の目録(同、昭和9年11月5日)には「山鹿素行 武將自畫賛帖」〔図13〕の図版が収められ、旧高田藩主\原家の目録(同、大正5年6月15日)の後半テキスト部分には、「綱政 武家百人一首帖」「本朝百將帖」「中華三十六將帖」「中華三十六將卷物」が記される。『讀耕先生全集』詩集巻十七に収められる「武將十人贊」は、「主殿頭松M忠房就家兄向陽子(鵞峰)而請漢倭武將各三十人之配對」のうちの林讀耕齋担当箇所である。『日%』$文5年(1665)1月29日条には、)川家綱の注文による「本朝三十六将図」が確認でき、鵞峰は絵師の狩野安信に助言を与えている。なお池田家の目録(同、大正6年11月22日)には安信画、鵞峰ほか賛の「本朝三十六將帖」が掲載される。$文年間には安藤省菴『楠正成傳(のち三忠傳)』(元年)、村田通信『楠河州傳』(9年)など楠正成の史伝が作られるとともに、湊川など関連史跡の調査や顕彰も行われた。これについては土橋眞吉『楠公精神の研究』、大日本皇道奉賛会、昭和18年に詳しい。年成6年3月昭和48年1月峰以下の林門の儒学者や山鹿素行などである。

元のページ  ../index.html#198

このブックを見る