―195―と法然は毎日念仏を休まずに唱えたという。その功徳によってか、善導が法然の夢に現れた。その時善導は黒染の衣を着、腰より下は金色であったという。本絵には法然と対面する善導のそばに曲がりくねった小河があり、空には紫雲がたなびいている。次の第十段には「東大寺供養」が簡略に描かれている。柱の赤色及び前庭にある八角灯籠により、描かれた建築は大仏殿であることが分かる。大仏殿内に礼盤があり、前庭には南都の僧や寺侍が描かれている。本伝絵の左側に描かれた場面は、第十三段を除いて全ての内容が明らかである。下から順に、まず第十二段、頭光踏蓮の法然上人の姿を見た月輪殿が稽首すること、第十四段、霊山寺で、三七日の別時念仏を行った際に勢至菩薩が参加したこと(注5)、第十五段、法然が口称三昧を発し、極楽や勢至菩薩を現ずること、最後に第十六段、法然が往生することが描かれている。これらのうち、第十五段の絵を除く三つの場面は元亨三年に制作されたと思われる常福寺所蔵の『拾遺古徳伝絵』かまたは掛幅系伝絵の絵に比較的近いと言える。次は、内容について疑問が残る場面について考えたい。まずは中央上部の第一段の絵と右側上端の第二段の絵がある。竹内氏はこの二つの段について「法然上人が源光房到着あるいは皇円下で師事叡空の図絵とも見られる」と述べた。つまり、第一段が法然の師源光の室、第二段の絵がその次の師皇円の室であるか、あるいは第一段が皇円の室、第二段は皇円の紹介で法然の師となった叡空の室と考えられる。竹内氏の仮説を検討するために、掛幅系伝絵が参考になる。それらの伝絵を比較してみると、皇円房の室が源光房の室の近隣に描かれた場合には、その二つの室を簡単に見分けられるように、源光房の室は急崖の上に建造されているように描かれるが、皇円の室は平地に描かれる。このパターンに従っているとすれば、本伝絵の近隣する第一段の絵と第二段の絵は源光の室と皇円の室としてよいのではないか。右側にある第四段の絵はさらに判定が困難である。御所に類似した建物があり、その廊下の端から湾曲した欄干を持つ階段が延びている。廊下には階段の両側に公卿たちが座っている。緑の前簾を下ろし、階段の下でもう一人の公卿が座っている。大庭にも六人の赤の狩衣を着た公卿が集まっていて、門外では一輛の牛車の車輪が見られる。これらのモチーフの描写に基づいて、この場面は法然が後白河法皇の招きに応じて法住寺殿に参り、円戒を授け、『往生要集』を講じた場面と見てよいのだろうか。掛幅系伝絵には、後白河法皇が円戒を受ける段の図絵には、斜めの視線から見た曲線で描かれた階段を主要なモチーフとして描写される場合がかなり多い。本伝絵の第四段の絵は同様に斜めの視線から見た階段がある。ただし、様々な掛幅伝絵を比較する
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