鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―196―と、この段の描写が別の場面の描写である可能性が出てくる。考えられる他の二つの可能性としては、高倉天皇に円戒を授ける場面か、または順徳院処胎の時法然が説戒のため、園城寺公胤は加持のためにそれぞれ昇殿する場面が挙げられる(注6)。作品によっては第四段の絵がこれら二つの段の絵に類似している場合もあるので、場面に描かれたモチーフのみでは第四段の内容を決定することは難しい。しかしながら筆者は次の二つの点に基づいてこの場面は後白河法皇の受戒の場面である可能性が高いと考える。まず、この三つの場面の中で、後白河法皇に関するエピソードは法然の伝記中、最も主要なものである点。次に、本伝絵は他の法然伝絵と比較して段の数が少ない点を考えると、そうした主要なエピソードが描かれない可能性は低いと考えるのが妥当ではないだろうか。この可能性を検討するために、左側にある第十三段の絵について考えなければならない。第十三段には御所に当たる建物があり、その廊に束帯を着た数人の文官の姿があり、束帯の裾が勾欄に掛かっている。大庭には弓を持つ二人の衛門府の武官が描かれている。簾を巻き上げていて、殿内の壇上に置かれた金銅かまたは木造の阿弥陀像が金泥で描かれ、その前に法然の姿がある。常福寺本や掛幅系伝絵には束帯を着た文官と本尊の両方が含まれる例がない。従って本伝絵の場面の内容を理解する手がかりにはならない。また、順徳院に関する場面であれば法然上人と公胤両者が描かれるはずだし、また後白河受戒の場面であれば藤原隆信が法然の肖像を描いているモチーフを欠く場合は少ない。しかしながら本伝絵の第四段と第十三段の絵にはいずれも認められないため、これら二段の内容を確定することは非常に難しい。右側の第七段の絵は、小山で第八段「大原問答」と第九段「善導対面」の段から分離されている。小山の岩肌と松の木に雪が降りつもった冬の風景には、松の黒線と雪の胡粉が対照的に用いられている。この冬景色の中に小さな倉のような建物があり、その壁は白で、その柱は赤で、その戸は赤茶色で描かれている。開いた戸の奥には二人の僧がいて、一人の僧がもう一人の僧を倉に所蔵された箱の方へ導いているところである。そして二人目の僧はお経を手に持って読んでいるように見える。この絵は法然が黒谷に入って「一切経」を学ぶ場面であると思われる。この絵に描かれた倉のような建物は黒谷の「報恩蔵」に当たる所であると考えられる。『勅修御伝』の絵に全く似ていないが、常福寺本に類似した描写を含む。常福寺本では、この場面の次に描かれた絵は法然が夢で善導に会う場面である。真宗の掛幅伝絵でもこの二つの段は隣接して、または近接して描かれている場合が少なくないことが指摘できる。これらの掛幅伝絵の場合には、案内する僧は報恩蔵の縁に立ちながら、戸に鍵をかけていると

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