鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―197―「対面像」としての「二祖曼荼羅図」ころで、法然は外で待っている状態を描いたものが多い。しかし、広島県光照寺に所蔵する三幅対法然上人伝絵の第一幅には、本伝絵に比較的よく類似した絵が描かれ、また本伝絵と同様に黒谷の報恩蔵が小山によって「善導対面」の場面から分離されている。最後に第三、第五段と第十一段についてだが、これらの場面は非常に判定することが困難である。本伝絵右側に位置する第三、五段は両者同様に、法然が他の僧と論議しているところを描いているが、この様な場面は法然の伝記中に複数存在するため、それらの中からどの場面に相当するかを決定するのは難しい。そして第十段「東大寺供養」の場面の下に位置する第十一段については、法然が少数の僧の集団と在家信者を率いて歩いているように見受けられるが、この段の絵は非常に損傷が激しく、図絵の細部は明らかでない。結局、第十一の場面の内容は、残念ながら現時点では不明としなければならない。先に述べたように「二祖曼荼羅図」の文脈において第九・十段の位置は特別な宗教的な意義を持っている。つまり、この二つの場面は浄土宗の正統性を示すために重要な役割を果たしたと考えられる。まず「善導対面」の第九段についてだが、常福寺本の詞書に「予問て云 是為誰 答て云我是善導也 専修念仏の法をひろめんとす故に其證とならんかためにきたれる也と云云 善導は則是彌陀の化身なれは 詳覈の義仏意に協けりとよろこひたまふ」とある。つまりこの詞書のメッセージは、阿弥陀の化身である善導によると法然の専修念仏は阿弥陀仏の意に合致するということである。さらに第九段の絵は、「夢」を媒介として、法然が日本浄土宗の第三番目の中国祖師と認められている善導と直接的な関係があるということを証明する。「対面像」としての「二祖曼荼羅図」は第九段の法然・善導の対面の場面と共鳴する。とりわけ、善導図の善導の肖像は百万遍知恩寺本善導大師像と同様に金色の法衣を着ている。また百万遍本と同様に像の後ろに金泥及び截金で描かれた欄干がある(注7)。なお、本絵の法然図にも百万遍本善導像と同様の欄干がある。このモチーフによって、法然・善導が空間的に同一の世界―夢、または仏の世界―に属していることを意味すると考える。裏辻憲道氏はこの百万遍本は南宋の正本に基づいて描かれたとし、その正本は法然の伝記における善導の描写に影響を及ぼしたと論じた(注8)。竹内氏が指摘したように、「二祖曼荼羅図」の善導図は二尊院本浄土五祖像の曇鸞大師の図様に基づいて書かれていると思われる。実は、法然図も二尊院本を参照して描

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