―198―かれたものと考えられる。例えば二尊院本では第一の祖師曇鸞の前に他の四人の祖師が描かれているが、この四祖が座る椅子が、本絵で法然が座っている椅子とよく似ている。また、本絵では善導が曇鸞と同様の椅子に座っているのに対して、法然は他の四祖と同様な椅子に座っている。これは浄土宗の相承血脈における法然の善導に対する位置付けを示す手法である。第十段の「東大寺供養」は第九段の「善導対面」の絵よりさらに重要な宗教的意義を持つ。周知のように、「東大寺供養」というのは、法然が東大寺で浄土宗の「三部経」を講説し、「浄土五祖影」かまたは「善導大師影」と「観無量寿経曼荼羅」を供養したことである。その時法然は、参集した諸宗の碩学の前で自宗の師資相承血脈譜及び三部経を説明することによって、浄土宗の正統性を他宗の僧に認めさせた。この様に第九段と第十段は浄土宗の正統性を強調している。このことは、両段が法然の肖像の真下に描かれているのに加えて、絵の内容を記す目的で描かれたと思われる色紙形も肖像の真下に位置していることからも分かる。従って、本絵の構想を企画した人々はこの二つの場面を、開祖の法然の肖像と共に、浄土宗の正統性を示すものとして強調したかったのだと考えられる。本二幅を「対面像」として認める理由はもう一つある。それは善導図の肖像の中央下に描かれている幾つかの場面である。実はこれらの場面は善導が著わした『観経疏』の結文に典拠を持つ(注9)(〔図2〕を参照)。その結文によると、善導が自らの業績がもし仏意にかなうものなら霊験あれとの願を発すと、夢に諸仏菩薩、また一人の聖僧が現れるという。まず、七日を限りとして念仏を続けていると、初夜に白い駱駝に乗った聖僧が現れ決定往生を告げる。第二夜には阿弥陀如来が十僧に囲繞され、宝樹の下に坐す姿を見、また第三夜には二本の幢が翻るのを見る。そして善導の夢に現れた聖僧は実は釈尊自身であったということを明かす。これに対して本絵には善導の肖像の中心から画面の下端までの直線上に、まず宝樹の下に坐す阿弥陀如来の絵があり、次に白馬に乗る釈尊の絵がある。この様に善導図でも法然図と同様に、浄土教の正統性を証明する場面が肖像の中央下に描かれる。最後に、善導図と法然図の内容を合わせて考えてみると、次のようなことが明らかになる。つまり専修念仏を業とする法然が夢で阿弥陀仏の化身、つまり善導に会い、その肖像画を東大寺で供養する(法然図の内容)。次に法然と同様念仏を業とする善導(実は阿弥陀仏の化身)が夢で阿弥陀仏、そして釈尊に会い自らの決定往生の予告を受ける(善導図の内容)。そう考えると、「二祖曼荼羅図」の教訓とは、法然の業は阿弥陀仏の意にかない、阿弥陀仏の業は釈迦牟尼の意にかなうということになり、ひいては法然の業は釈迦の意にかなうものであるということになる。こうした資師相承
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