注竹内尚次「続・浄土教の肖像画小稿」『ミュージアム』278号、昭和49年 竹内前掲書、12頁■千葉乗隆編『真宗重宝聚英』第六巻、同朋舎、昭和63年■竹内前掲書、11頁―199―の血脈によって本二幅は日本の浄土宗の功徳を積極的に主張すると思う。結び以上のように「二祖曼荼羅図」の法然図に描かれた伝絵の内容を確認して、さらに本二幅の「対面像」としての意義を解明した。おわりに本二幅の制作の文脈について考えたい。両肖像画は二尊院本浄土五祖絵に類似するところが多いが、この二つの肖像画は浄土真宗の「光明本尊」及び「高僧連坐像」に基づいて描かれたものと思われる(ちなみに両作品も二尊院本を参考にしたと思われる)。ただし、浄土真宗の作品に認められない百万遍本の影響が両図に見受けられる。また法然図に描かれた伝絵の場面は、常福寺本の『拾遺古徳伝絵』、あるいは真宗の掛幅系法然伝絵に描かれた絵に類似した描写と類似しない描写を混在させている。また本二幅は浄土真宗の文脈で制作されたという可能性が高いものの、浄土真宗には法然・善導の対面像の数が少なくて、むしろ浄土宗の文脈に作例が多い。一般的に日本では善導の一生の伝記が絵に描かれる例が少なく、本作品以外では藤田美術館、北村家と鎌倉光明に分蔵される絵巻物しか現存しない。その絵巻物は十四世紀の第三四半期に制作されたと思われる。そして本絵の制作過程を考える上で重要なのは、この絵巻物の詞が鎌倉末期に書かれた澄円の原文に依拠していると考えられることである(注10)。なぜなら竹内氏が本絵の制作年代を鎌倉時代後期とするのに従えば、この澄円の原文と本絵が同時期に制作されたということになるからである。さらに、澄円が元亨三年から元弘元年の間に撰述したとされる善導の伝記は『観経疏』の結文に基づいた文章を含むが、前述のように本絵の一場面も『観経疏』に典拠を持つ(注11)。以上のことを考えると、本絵の制作過程で澄円の原文を直接に参考した可能性は否定できない。いずれにしても、「二祖曼荼羅図」は初期浄土宗の思想を知る上で重要な作品であると考える。本稿のために貴重な作品の調査を快しく御承諾下さった知恩院文化財保存局の堀立瑛課長と松栄隆義氏に心から感謝します。
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