鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
213/535

―204―ロシアは万博に参加せず、フィンランドは単独館出展が可能となったためである。長年の念願が叶ったとはいえテオドール・フイヤーによる木造ヴィラ風の展示館及びその展示は、国外からの関心を集めることはできなかった。その経験や当時のロシアとの緊迫した政治状況を踏まえ、1900年のパリ万博におけるフィンランド館の一番の目的は、自らの存在を世界に認知させ、世界的な世論の庇護の下、ロシア帝国による圧政に抗することであった。そのためには、ロシアからの圧力を免れ得る方法で、フィンランドがロシアとは異なる文化と歴史を持つ西欧及び北欧文化圏に属する国であることをアピールする必要があったのである。フィンランド館のまず目を惹く特徴は建築装飾で、従来の研究では特にこの点に焦点が当てられてきた。多様で異国情緒溢れる展示館が林立する万博において、列強パヴィリオンのセクションにありながら、フィンランド館は、西欧的なアール・ヌーヴォーでも歴史主義の折衷でも木造ヴィラ風の建物でもない、新しい建築であると認識された。それは、西欧建築の伝統には存在しなかった、ヴァナキュラーな要素とロマン主義的な幻想性を兼ね備えていた点にある。都市に住む富裕層のための芸術とは完全に趣を異にし、かといって単純にその対照的存在であるヴァナキュラー建築が再現されているわけでもない展示館は、新しい建築であると捉えられたのである。が、石造に見立てて貼られていた。本物の花崗岩と軟石は出入口にのみ用いられ、焦茶色の屋根はシングル葺きである。構造以上に注目されてきたのは装飾で、フィンランドに棲息する北国独特の動植物をモティーフとしている。中でも熊は、北の森の王者の象徴として特に重要な意味を持っていた。塔の基部には、彫刻家エミル・ヴィクストロム(1864−1942)の大きな熊の彫刻が設置され(注6)、メイン・エントランス〔図4〕のフリーズには、サーリネンによる熊の頭の装飾が施された。サーリネンは、もう一方の出入口に松の枝に戯れる栗鼠〔図5〕、塔上部に黄色い太陽光線〔図1〕、小塔を支えるコンソールに松の実〔図6〕等、蛙、山猫、大鹿を建築装飾としてデザインした。これらのモティーフは、西欧の伝統的な建築の装飾文法には存在していなかったばかりか、フィンランドの建築史においても前例がなかった。写実性と彫塑性を残しつつも、デフォルメされ洗練されたデザインと化したサーリネンの建築装飾は、一つの型を反復して使用するという特徴が見られる。フィンランド館の設計案は、1898年6月に開催された設計競技によって選出された。GLSによる展示館のデザインは、どこの農村にも存在し得る中世に建てられた教会を想起させる。東西長さ約40m、幅約10mの空間と細長い塔から成る単純な構造〔図8〕の木造建築で、壁には「ココリト」という特殊なシートと石膏で固められた布地

元のページ  ../index.html#213

このブックを見る