―205―選出された案は、ヘルシンキ工科大学を卒業したばかりで弱冠26歳の建築家トリオGLSの作品「イシドール」(注7)であったが、実際には修正案〔図7〕を基に建設された。彼らは国内の建築教育で育った最初の世代の建築家であった。設計競技で提示された展示館の条件は、フィンランドらしさを表現していること、不燃性の材質によること、出入口2箇所の設置、金属のフレームと木材を使用し石造に見えるような細工を施すことであった。フィンランドには木造建築が圧倒的に多かったにもかかわらず、石造を模すことが条件付けられたのは、国内のスウェーデン語紙『首都新聞(Hufvudstadsbladet)』の、木造建築はロシア建築の特徴でもあるためふさわしくないとの議論(注8)を受けてのことである。展示館に求められた「フィンランド様式」を巡る議論は、1880年代にフィンランド手工芸友好協会(注9)によって開催されたテクスタイルにおける「フィンランド様式」をテーマにした意匠競技に遡る。1890年代になると、その議論は家具、陶芸、建築に及んだ(注10)。結論としてフィンランド様式とは、東カレリア地方の伝統的な幾何学文様と動物装飾を特徴とするものであるとされ、フィンランド館においてもナショナル・アイデンティティの表現として使用された。それは前述したサーリネンの建築装飾や、後述するガレンらによる応用美術のデザインにも見られる。これまでの研究では注目されてこなかったが、展示館が注目を集めるには、外見のみだけではなく、内部の展示も非常に重要であるため、本稿ではその点に着目したい。フィンランド館の人気は、建築から得た斬新な印象を裏切らない、統一感ある総合芸術的な展示に起因する。そこでは、国の威信を示す最先端の科学技術、産業製品、或いは富や権力の象徴としての芸術等が展示された訳ではない。そういったものとは対照的に、農村国家としてのフィンランドのライフスタイルが展示されたのである。自然の中で暮らす人間の生活にこそ本質的な美があるとの逆説的な主張は、ヨーロッパの後進国であり、支配国からの圧政を受けていたフィンランドの唯一の選択肢であった。展示〔図8〕〔表1〕の中心となる中央ホール天井部の4壁面には、ガレンによる『カレワラ』をテーマにしたフレスコ画が描かれ、ホール中央には、GLSのデザインによる展示ケースの中に、万博前年にフィンランドに落下したことで話題を呼んだ月の隕石の複製が置かれた〔図9〕。祭室に当たる空間にはイリス工房とフィンランド手工芸友好協会による応用美術作品が並べられた〔図10〕。フィンランドの自然、農業、産業、教育の紹介には、それに関連する物〔図11〕と、当時フィンランドで活躍していた画家たちがそれぞれを主題にした絵画が教会の身廊のように展示された〔図
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