鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―206―12〕。芸術家たちの展示戦略によって、洗練された統一感を基調に、農村の日常風景が、教会を想起させる展示館において神聖なものの如く奉られたのである。コミッショナーのエーデルフェルトが、教え子であるガレンに、中央ホールの『カレワラ』絵画を依頼したのは当然の経緯であった。ガレンは既に1889年から『カレワラ』を主題にした絵画を制作し、フィンランド人の民族意識を高めた功績があった。描かれた4場面のうち二度登場する重要な主題は、富を生み出す「サンポ」(注11)である。《サンポの鍛造》〔図13〕は四場面の中で最も早く絵画化された主題であるが、壁面の形に合わせるため、油彩画とは少し構図が異なる。四場面中、最も重要な構図は、同じ万博の「美術」セクションでも油彩画(トゥルク美術館所蔵Inv.66)が展示された《サンポの防衛》〔図14〕である。描かれた人物の感情や緊迫した状況を、力強い輪郭線と、コントラストの激しい色遣いで劇的に表現している。粗野で猛々しい様子が国民の特性と重なるとして、この絵はフィンランドを象徴する絵画として受容された。フィンランドに不可欠な「サンポ」を、北の国ポホヨラに棲む悪魔から奪還するために闘う構図は、ロシアのフィンランドに対する圧力への攻防を暗示している。他の二つの作品にも、『カレワラ』本来の意味だけではなく政治的なメッセージが込められている。《蛇の野を耕すイルマリネン》〔図15〕では、フィンランドの象徴である農夫イルマリネンが、ロシアの暗示である蛇の棲息する農地を耕すのに苦労している様子が表現されている。《フィンランドへのキリスト教伝来》〔図16〕では、1155年フィンランドに、北方十字軍によってキリスト教が伝来し、『カレワラ』に見られる呪術的世界が終焉を迎えたことが表現されている。同時にそれは、フィンランドには、東からのロシア正教ではなく、西側からカトリックが伝来し、したがって西欧文化圏に属するということを主張しているとも考えられる。建築、フレスコ画と並んで注目を集めたのは、イリス工房の展示である。芸術家の私的空間の再現にも見える展示は、ガレンの親友で工房の設立者であったスウェーデン人芸術家ルイス・スパレ(1863−1964)と、同僚のベルギー人芸術家アルフレッド・ウィリアム・フィンチ(1854−1930)らの作品や、ガレンによるデザインの椅子〔図10〕、タペストリー〔図17〕等で構成されていた。ガレンが万博で壁画以上に力を注いでいたのは、これらの作品であった(注12)。ここで注目しておきたいのは、スパレ、フィンチといった外国人によるヴァナキュラー趣味のデザインも、フィンランドらしい作品として吸収されていったことである。フィンランドらしい造形とは、厳密な意味での民俗様式ではなく、当時流行していたアール・ヌーヴォーの流れの中で創出されたものであった。

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