鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―207―最後に特筆すべき点は、芸術家と知識人が、自然、教育、産業などの展示に積極的に関与していたことである。展示デザイナーとして、GLSがパヴィリオン、パーテション、展示ケース、月の隕石の展示ケースを担当し、ガレンがフレスコ画、彫刻家エミル・ハロネン(1875−1950)が装飾細部を担当したとの研究(注13)があるが、ガレンの書簡(注14)を読むと、エーデルフェルト、ガレンや、数学教授でセナーッティ議員のエドワルド・ネオヴィウス(1851−1917)、画家エーロ・ヤーネフェルト(1863−1937)らも展示戦略を企てていたことがわかる。GLSと並んで後にナショナル・ロマンティシズムの代表的な建築家であると評価されるラルス・ソンク(1870−1956)のデザインによるニュース・スタンド〔図18〕も出品されている。また、上述したガレンの書簡から、建築と展示物の間に様々な配慮があったことがわかり、総合芸術的な展示を意図していたと判断できる。書簡にあるように、当時活躍し、フィンランド美術史に名を刻む若手の画家たちによる日常の風景をテーマにした象徴主義的な絵画(1.25m×1.75cm)が、黄色味を帯びた展示室の窓ガラス上部に展示された〔図12〕。Ⅲ.フィンランド館の受容フィンランド館について国内外で多くの記事が書かれた(注15)ことから、その反響の大きさが容易に推測できる。フィンランド館に関する外国メディアの反応は『フィンランド産業誌(Suomen Teollisuuslehti)』(1900年第16号)に一挙に掲載された(注16)。そこでの評価の特徴を3点に集約してみると、まず、独創性の指摘が挙げられる(『エコー・ド・パリ』、『フランクフルター・ツァイトゥング』)。次に、「モダン」な建築であるという指摘も重要な意味を持つ。「フィンランド館は最も奇異でコケットに見える。一見それはフィンランド建築のようだがよく見ると実はそれは『モダン・スタイル(Modern Styleと英語で表記)』の建築なのである」(『フィガロ』)に代表される意見である。そして本稿でさらに強調したい3点目は、日常生活における美私が思うには、提案されているような人物画では、たとえそれが装飾的であったとしても、また、誰の目にも内容が明解であったとしても、1.2m以下の大きさの絵画を窓の上に展示した場合、きちんとした効果は得られない。むしろ、極端に単純化した象徴的或いは寓意的な人物の群像が望ましい。そして1.2m×2mという大きさを、創意に富んだ構図にしなければならない。考え抜かれた様式、卓越した技術と他に類をみないユニークな構図で、装飾的な様式をさらに昇華させたものにしなければならない(注14)。

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