―208―という新しい芸術のあり方についての指摘である。これは、「個人的な趣の空間に、日常生活の美という新しい美が実践されている。その展示は生命力を持っており、デザイナーや芸術家たちの理想を表現している」(『ジュルナル・ド・デバ』)という記事一点にのみ見られるが、非常に重要な指摘である。『フィンランド産業誌』では紹介されていないが、美術の分野での反響の大きさは、『アール・エ・デコラション(Art et Décoration)』(1900年7月号)の記事(注17)や『ストュディオ(The Studio)』(1900年第20号)に「パリ万博からの何枚かのスケッチ」と題してフィンランド館の挿図が掲載されたことなどからも類推できる。万博終了後、フィンランド館の評価は建築に集中し、ドイツ語雑誌にフィンランド建築についての記事が掲載されてもいる(注18)。Ⅳ.結論以上概観してきたことをまとめると、フィンランド館は、国際的な芸術の流れを意識していた若手建築家、芸術家と知識人らによる、国家の威信をかけたプロジェクトであった。建築は、GLSによる設計で、教会建築を想起させるデザインであった。内部には、フィンランドの農村でのライフスタイルが展示された。これは他国館の展示とは完全に異なる趣向であった。現存する資料から判断すると、展示に参画した芸術家たちが、直接、作曲家リヒャルト・ワーグナーのような「総合芸術」を目指した可能性は低い。だが、ガレンの書簡等から、建築と展示物の間に様々な配慮がなされていることがわかり、結果的には、統一感のある洗練された総合芸術的な展示館となった。『カレワラ』壁画もある教会を模した建築の神聖な空間で、フィンランドの日常が芸術的に展示されたことは、それまで価値の認められなかった農民の生活を崇高なものに昇華する儀式としての役割を果たしたのではないだろうか。そして、展示館が洗練された新しいスタイルの芸術であるとして、他国から注目を集め高い評価を得ることで、フィンランドがそれをナショナル・アイデンティティとすることを国際的に認証する結果となったのではないだろうか。この展示館によって、フィンランドは独自性を印象付けるだけでなく、緊迫した政治状況を認知させ、国際的な世論を味方につけることに成功した。フィンランド館を通して芸術家たちが訴えたかったことは、ガレンのネオヴィウス宛の「自分たちは野蛮人ではなく、自分たちで問題を解決でき、独立できる力を持っていることを示す必要がある」(注19)と書かれた書簡にも見出される。フィンランド文化の独自性と成熟度を広く世界に認知させることが、最重要課題であり、それは、芸術家たちによる
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