鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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「フィンランド館が一番魅力的で興味深い構造であった。ここに本物のナショナル・アートがあり、それは明らかに新しいものである。それはデンマークやノルウェーのように地元の建築の要素のみを着想源にしているのではなく、まわりにある自然環境までをも着想源にした自由で生き生きとした建築である」Philippe Julian, The Triumph of Art Nouveau Paris Exhibition1900,New York, 1974, pp. 75−78. Anna-Liisa Amberg, “Suomen Paviljonki Pariisin Maailmannäyttelyssä 1900”, Finnmagyar, 2004, pp.■1899年3月6日付ネオヴィウス宛のガレンの書簡より。ガレンの熱い想いと使命感は同じ書簡の「私たちは努力して、私たち自身が問題を解決できる力を持っていることを示す以外に選択肢はないとあなたは言いました。これは、野蛮人の型に填められることから私たちを救うだけでなく、私たちの国のモラルの『繊維』を強化することにもなります。それがいつの日か私たちを繋ぐ布となるといいですね。それが私たちの肩にかかっていることは、承知していますが」に見られる。Ilvas, op.cit., p. 69.Tytti Valto, “Työluettelo-Arkkitehtuuri ja Kaupunkisuunnittelu(作品集−建築と都市計画)”, inMarika Hausen eds., Eliel Saarinen Suomen aika), Helsinki, 1990, pp. 258−259ではデザイナーに関する記録は、Receipt no.82/1899, nos.51, 128and 180/1900, State Finance Committee Hq20, NationalArchive等を根拠にしている。1899年3月6日付エドワルド・ネオヴィウス宛ガレンの書簡。Ilvas, op.cit., pp. 67−69.フィンランド館に関する著作リストは、Valto, op.cit., pp. 258-259に纏められている。Suomen Teollisuuslehti N:o16elokuun15päivä1900(1900年8月15日), p. 182. Frankfurter Zeitung,Le Figaro, Journal des Débats, La Plume, Echo de Paris, Cri de Paris, Livre Paroleの記事の抄訳がフィンランド語で掲載されている。―210―Sanan ja tunteen voimalla Akseli Gallen-Kallelan Kirjeitä, Valtion Taidemuseo,1996, p. 66.※フィンランド国立文書館、美術館、博物館から写真の提供にご協力いただきました。40−45にEmil BeutingerやHeinrich Pudorら、ドイツ語で書かれた記事についての記述がある。(Permission to use all the images from the collection of The National Museum of Finlandare given by their courtesy.)

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