6ブルーノ・タウト「旧・日向邸」について―214―(0)本研究の輪郭(注3)、日本での作品にも、そのような関心の痕跡があるということは、本稿が初め(1)旧・日向邸の構造とその分析研 究 者:大阪大学大学院 文学研究科 博士後期 松 友 知香子熱海市にあるブルーノ・タウト(1880−1938)が手掛けた旧・日向邸の地下室(注1)について、ひとつの試論を提出したい。この建築については、様々な研究・言及があるが(注2)、それらは概して、西洋人による和風建築として、あるいは機能主義的な観点から論じるものだった。しかしこのような観点だけからでは、この邸宅を深く読み解くことはできない。タウト自身は、機能性を重視する一方で、洋の東西を問わず、古い伝統的な造形芸術を尊重していたからである。しかしながらそういったところまでをも見る建築論的・文化論的な考察は、これまでなされていなかった。あらかじめ本稿の見取り図を描くなら、最初の切り口は「色彩」である。次に建築論的な観点から、キリスト教の教会建築の基本形式、特に身廊部と内陣部分との類似性に着目する。タウトにおけるゴシックへの関心を指摘する研究はこれまでにもあったがて着眼するところである。ここからタウトの建築における日本的なものと西洋的なものとの対照を含んだ融合を見ることが可能になると思われる。最終的にはこの融合を、比較文化的な視点から考察することが、本稿の目標である。まずタウト自身の言葉によって、旧・日向邸の制作意図を窺うならば、「日向氏の希望としては、ここを夏向きの涼しい部屋にして、その一部を現代的なもの、また他の一部を純日本式のものにしたいというのである。現代的な空間と伝統的な空間とを対照させるということは、私にとって特別な魅力を有した。…すべてのものが、厳粛かつ古典的に、日本文化全体の基調をなしている古来の内面的な哲学、すなわち〈禅〉の精神を放射する」(注4)。次に協力者である建築家、吉田鉄郎の文章(注5)に基づいて、この作品の構造〔図1〕を簡単に説明する。タウトは構造上可能な範囲で、海側のコンクリートの外壁を取払い、開口部を大きくした。通風、採光を考慮した結果である。「社交室」は、(日向氏の趣味を反映して)舞踏、ピンポンのために設計された。桐板を張った天井から、竹の鎖で吊るした無数の豆電球がぶら下がっている。レモン色の磨漆喰で塗った壁は、間柱、腰回りによって軽快さが表現されている。竹張りの壁や竹格子の部分には、椅子が作り付けにされている。つづく「洋間」は、壁
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