鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―215―を暗赤色の織物で貼った部屋である。「洋間上段」にある天井には、照明が作り付けられている。その壁面には、小棚が設けられ、絵画を陳列するためのものである。さらにつづく日本間は、小堀遠州の作品を手本として作ったものであろう。壁は灰緑色。床の間は灰青色。襖は鳥の子貼り。用材はすべてベニガラ色の漆塗り仕上げである。日本間の上段の奥には、四畳半の空間がある。この作品を読み解く重要な鍵として、まず洋間の壁面の色彩を挙げたい。壁面は「深緋色」の布地で蔽われている。熱海市から提供していただいた布地の一部を、農業生物資源研究所(長野県)の中島健一氏に分析していただいたところ、これは茜と紫根で染められたものと分かった(注6)。先行研究において旧・日向邸の色彩は、その「鮮やかさ」から、タウトらしい色彩感覚の表れであり、ドイツで建設された「色彩建築」に連なるものである、という評価がなされてきた。しかしながらベルリン近郊の旧・タウト邸(1926)の色彩を見るなら、ここでタウトの色彩感覚の変化を見過ごすことはできない。とりあえずは旧・タウト邸では人工着色料が用いられたのに対して、旧・日向邸では天然色素が用いられた、と言える。しかしその転換は、単に物理的なものに終わらない。それによって生じる効果を、タウトは計算していたはずだからである。結論を先取りするなら、そこには従来とは異なった「光」の感性が作用していると思われる。タウトの色彩建築には、もともと「光」が重要な要素をなしていた。それは、1914年のドイツ工作連盟展に出品したグラスハウス、第一次世界大戦後の「色彩宣言」、1920年代後半のジードルング群などの色彩に共通した特徴である。そしてそれが最もはっきりと造形化されるのは、旧・タウト邸〔図2〕である。その平面と壁面の構成は、多面的であり、開口部もさほど広くは確保されていない。しかしながらタウトは、太陽の運行を意識した窓の配置と内部空間の連結によって、「あらゆる部屋に日光を導き入れる」(注7)ことに成功した、と語っている。そして壁を構成する色面は、「光」との相互作用によって力強い輝きへと高められているのである。実際のところ、旧・タウト邸の「光」は、物理的な配慮だけでなく、もう少し奥行きのある配慮から取り入れられていたことがうかがわれる。たとえばドイツ工作連盟展のグラスハウスでは、近代的なガラスや電気という素材を用いて生じた輝く色彩によって、人間の内面性を浄化させたいという願いが込められていたのである(注8)。他方で、旧・日向邸における「光」は、タウトにおける光と色彩の関係を、ないし(a)洋間壁面の色彩

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