―216―はタウトにおける「光」の感性をさらに深めたものだと言えよう。なぜなら旧・日向邸では太陽の光が直接に差し込むことはない。直射日光は、いったんは障子で遮られ、刺激性をすべて遮断した柔らかな光線となって、室内に入ってくる。次に室内の人工照明も、ドイツ工作連盟展のパヴィリオンにおけるような近代的な明るい照明ではなくて、抑制された明かりだけである。そして教会内部のローソクの光やステンドグラスを通って入る極彩色の光に代わって、後に述べる祭壇風の舞台には、行灯が置かれている。その静かな光は、パヴィリオンにおける光はもとより、教会建築の光とも異なった精神性を醸し出す。壁面の深緋色の絹布は、この或る独特の精神性を、最も視覚的に表現する空間部分である。それは、直射の太陽光を照り返して輝くということはなく、また明るい近代的な照明のなかで映えるということもない。それはむしろ、障子を通して入ってくる抑制された自然光と行灯の物静かな光を、内側へと吸収する。だから壁面は視覚的に見て、表面で視線を跳ね返すのでなく、視線を吸いこませることとなり、壁面そのものを、単なる物理的平面から、奥行きのある深みの空間へと変化させる。色彩は、ここではそのような空間を形成する造形的要素を含み、さらに何らかの精神性ないし内面性をもたらすものとなる。また社交室の意匠に着目するならば、天井〔図3〕と床が、まずはデザインの上で三つのゾーンに分かれ、上下のゾーンは互いに呼応していることが分かる。それは和風建築には考えられないデザインである。ただちに想起されるのは、キリスト教の教会建築のバジリカ式やハレンキルヒェ(広間式聖堂)の身廊部である。教会建築は、基本的に身廊とその両わきの側廊の三つの部分から構成され、バジリカ式では、身廊の天井が高く、両側の側廊が低い。それに対して、ハレンキルヒェは、身廊と側廊の天井高がほぼ等しく、内部は広間(ホール)すなわちひとつの空間の印象を与える。そして天井と床は、それぞれに呼応しあう3つのゾーンに分かれている。ハレンキルヒェは、かつて、北方ドイツ的な教会建築の一形式と見なされていた。これらの歴史を念頭におきつつ、旧・日向邸の社交室の天井と床の三ゾーン構成だけを見るなら、ハレンキルヒェに最も類似すると言える。また社交室で目立つ第二の特徴は、天井からつり下げられるランプの列である。このデザインもまた、和風建築には無いが、近代ヨーロッパの教会建築では、すでに試みられたものである。すなわち、ウルムのガルニゾン教会(1910年)である〔図4〕。これはドイツで最初の鉄筋コンクリート造りの教会で、これを設計したテオドール・フィッシャーは、タウトが師事した建築家であった。近代的な空間感覚のなかに、それと矛盾はしなくとも宗教的な雰囲気をも(b)社交室の意匠
元のページ ../index.html#225