―218―(2)タウトにおける西洋的なものと日本的なものかには、絵画が収められているわけではない。しかし、美しいマドンナの絵を、ないしは雲に乗って楽器を奏でる天女の画像を、そこに収めることはいつでも可能である。それも「精神が吸い取られ、その意志に反して動き出す」ことなしに、芸術感覚を内面化する方向においてである。ちなみに、ここには神社の「祠」に通じるイメージもあるのかもしれない。ふたつの行灯は、そのような方向への想像力を働かしめる。タウトが1924年の『Die neue Wohnung(新しい住まい)』において、「床の間=家庭祭壇」(注10)と述べているところから、祠の代わりに床の間を想起しても良いかもしれない。タウトは、絵画などの芸術作品が、キリスト教の聖遺物が特別な場合にのみ公開されたように、時と場所を限定させて鑑賞するべきであり、常時は保管しておくべきである、と述べている(注11)。この発想は、Ute Maasbergが教会のFluegelaltarを世俗的にしたもの、と解釈している。なお、こういった内部空間に加えて、旧・日向邸の敷地そのものの環境からも、付け加えるべきことがある。旧・日向邸の敷地は初島を正面に眺めて、海から山へ登る斜面にある。タウトの日記には、初島について幾つか言及されているが、初島はあの海域で唯一の島として、熱海の海岸から肉眼で見る上で遠すぎることもなく近すぎることもない位置で、海に浮かんでいる。初島は、そこに伝わる故事から、東海随一の霊場・伊豆山神社から見て「神域」に数えられ得る。その初島に、視界がとどく範囲の海を隔てて、洋間上段が向かい合う位置に立てられているのである。かくしてその環境上の位置関係からもまた、洋間上段が一種の「祭壇」空間という意味を帯び得るといえる。かくしてこの洋間上段は、ちょうど社交室が身廊部を想起させるのと同じ程度の構造的な類似性をもって、「祭壇」空間を想起させて然るべきものとなる。最後に、旧・日向邸の構造からタウトの本邸の建築に含まれる精神文化的な意味を考察したい。これまでの研究では言及されなかったが、この洋間上段とおなじ高さで、4畳ほどの廊下を隔てて、一室が設けられている。タウトによれば、これは「四畳半の小さな寝室」であるという。隣接する空間を水屋に使うなら、それは茶室に使用することができる。教会の祭壇空間に擬し得る洋間上段とならんで、日本建築の内奥部分とも言える四畳半の茶室が設けられるというところに、タウトの旧・日向邸の精神構造を見ることができるであろう。タウトは、眼は「精神的なものへの変圧器である」(注12)と述べているが、この
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