鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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■Ute Maasberg “Der Weg zur Kunst fuehrt ueber die Natur”, Bruno Taut, Deutsche Verlags-Anstalt 2001,注本論で扱う作品は、日向利兵衛(1874−1939)氏の別荘の地下室である。別荘は、すでに完成していたが、1935年に鉄筋コンクリート造の地下空間のインテリア改装をタウトに依頼。現在は、熱海市所有。 吉田鉄郎「熱海日向氏別荘地下室の改造」『国際建築』1936年 451−453頁、長谷川堯『雌の視覚』相模書房 1973年、Manfred Speidel “Bruno Taut” Kulturvermittler zwischen Japan undDeutschland, Campus Verlag 1990, S.205-224.、Bettina Zoeller-Stock, Bruno Taut- Die1993.、宮元健次『桂離Innenraumenentwuerfe des Berlliner Architekten, Deutsche Verlags-Anstalt宮 ブルーノ・タウトは証言する』鹿島出版会 1995年、沢良子「ブルーノ・タウトの熱海旧日向別邸−建築手法及び理念」『武蔵野美術大学研究紀要』1997年 71−80頁、長谷川堯「旧日向邸 熱海に結晶した家」『和風建築と竹』学芸出版社 1997年 11−24頁、隈研吾「接続すること 日向邸」『反オブジェクト』筑摩書房 2000年 9−73頁、藤森照信「日向利兵衛別邸世にも不思議な竹と絹の地下空間」『歴史遺産 日本の洋館第6巻』講談社 2003年 38−47頁。■ブルーノ・タウト 篠田英雄訳「熱海の家」『続 建築とは何か』鹿島出版会 1978年 175,■吉田鉄郎「熱海日向氏別荘地下室の改造」『国際建築』1936年 451−453頁■「まず繊維の素材ですが、SEM(走査型電子顕微鏡)の観察から、形状的(太さ,表面の様子)には絹と思われる。そこでJIS L 1030法の「各種繊維の各種試薬に対する溶解性」の中から35%塩酸に対する溶解性を調べたところ、溶解したためこの繊維は,絹であると言える。次に染料ですが、試料を9N臭化リチウムで溶解し、分光光度計で溶液の吸光度を測定し、私が持っている植物染料の基礎データと比較したところ、茜と紫根により染色されたのではないか、と推察されました」。■Bruno Taut, Ein Wohnhaus, Gebr. Mann Verlag, 1995, S.29.■Bruno Taut, “Glashaus Werkbundausstellung Coeln 1914”, 1914. または、キリスト教思想とタウトとの関連については、Matthias Schirren(Bruno Taut Alpine Architektur, Prestel, 2004.)およびUte Maasbergの(注 で上掲した)論文“Der Weg zur Kunst fuehrt ueber die Natur”を参照。Bruno Taut, Bildschrein, Das hohe Ufer, 1919, S.305.Bruno Taut, Die neue Wohnung-Die Frau als Schoepferin, Verlag Klinkhardt & Biermann S.29.同上書 S.16−30. 新しい住まいは、構造体(壁、床)を開放した空間にすべきというのがタウ―219―208−230頁、Matthias Schirren, Bruno Taut Alpine Architektur, Prestel, 2004.183頁より引用。変圧器は旧・日向邸において、彼のなかのキリスト教的な精神を日本的なものへと変圧し、また日本的なものを、キリスト教文化に刻印された彼自身の建築のなかに変圧するものとなっている。それが建築作品としてどう評価されるかは、別の問題である。ともかくも旧・日向邸は、このような「西洋的なもの」と「日本的なもの」が対照なしつつ融合した作品だということができる。それは、従来の機能主義的な解釈からは抜け落ちた視点ではなかったかと思われる。

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