鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
238/535

注墳墓中の装飾について、壁画はその主な種類だが、ほかに画像石、画像磚、彫磚、木板画、棺―229―どからなる「家居図」「料理図」が少ない。「出行図」や門衛も見られることから、北方区の契丹族から影響を受けていることは否定できないが、総体的には漢民族の特徴が目立つ。四 山西省大同市938年以降に遼の統治地区となる、遼興宗の重熙十三年(1044年)、統治を強めるために“西京”(山西省大同市)を設置した。大同市の周辺では11基〔表No.75−85〕の遼代壁画墓が発現されている。前・中期は各1基で、後期は9基である。各期の分布からわかるように、主に“西京”を設置した後につくられたものであり、墓主が判別できる古墳は全て漢民族のものである。墳墓は全て磚のみで造られている。また構造は全て単室であり、形状は円形が多く、方形は1基しかない。向きは前・中期の2基の壁画古墳が南向で、後期には南、東南、西南、東という四つの方向がある。これは北方地域の影響があると思われる。前・中期に属する2基の壁画古墳は、壁画の保存状況が良くなく、墓室の内には人物、動物が描かれているというが、具体的な画題は明確にはできない。後期の墳墓では、墓室外の墓道と天井に壁画が描かれないが、しかし、この地域の墳墓は甬道にも壁画が描かれていない。壁画が描かれるのは墓室の四壁と墓頂のみである。墓室の前壁では、墓門の両側に壁画が描かれるが、画題には二種類ある。ひとつは左右ともに杖を持つ門衛1人が描かれる場合と、もうひとつは墓門の左側には「牽馬出行図」、右側には「駝車出行図」が描かれる場合である。前者の方が主流で、後者は1例のみである。左壁には「家居図」が描かれるが、画面は上、下二層の構図から成っており、衣掛け、男侍、侍女、杖をつく老人、門など、家での生活の場面が描かれている。これは大同市における特有の画題である。また「宴飲図」「牽馬出行図」「奏楽図」などが描かれている場合もある。右壁には「駝車出行図」が多く、「車馬出行図」「宴飲図」「牽牛図」などの題材も見られる。北壁は中央部には3扇の屏風を描き、屏風の左右両側にはそれぞれ侍僕1人が立っている。1基だけ墓頂に太陽と星から構成される星象図が描かれている。全体的に言えば、大同市内の墳墓壁画にはパターンがある。特に前・後壁は画題がほとんど同じである。左右両壁おいても北方区と比べると、題材の変化は少ない。

元のページ  ../index.html#238

このブックを見る