―238―「声をかけられた側の反応を窺う」というものである。しかし、オリジナルにおいて「声をかける」のは男性であった。それが女性に変更されていることからして、「媾曳」る。図に掲げた、特徴的な横顔を見せる姿型が共通するのは明らかだが、その仕草には相違点がみられる。それぞれが属する図様および主題にも違いが見られ、「横向きの女性像」の「型」として姿型が利用されていることがわかる。ただこれら四作品の場合、先の女性集団と異なり、それぞれの状況設定にあわせた仕草を採用することで、機能に整合性を与える事に成功している。そこに各画家の技量の確かさを認めることもできよう。上記二つの例は、仕草の継承に正反対とも言える対応を示すが、オリジナルの態意に頓着しないという点で共通する。その上で、図様及び姿型レベルで〈かたち〉を活用する。これが第一のパターンの特徴である。これに対して二つめは、態意は継承するけれども、機能と主題は変更するというパターンである。前出の「北野社頭歌舞伎図」でも、男性陣二人〔図15〕の場合はこれにあたる。彼らは「北野社頭遊楽図」の場合と同じように「女性を見つめて」いる。ただし、その対象は路上の集団から、舞台上の歌舞伎役者に変えられている。これにより「媾曳の一方の当事者」だった機能は「歌舞伎小屋の観客」へと変換される。仕草及び態意、さらには姿型も変えぬままに、周囲の人物との組み合わせを変えることで機能に変化をもたらしているわけである。このパターンにおいても「湯女図」〔図16〕はより巧妙で複雑な転用を見せる。六人の登場人物のうち、左から二番目と五番目の女が姿型を、右端の女が仕草を「花見遊曲図」をはじめとする〈福井系媾曳図〉から継承する(注7)。三人の位置関係からみて、オリジナルの態意も継承されていると考えられるが、それは順に「声をかけてきた人物を見定める」、「声をかけられて戸惑いつつ仲間を呼び止めようとする」、という主題にも変更は及んでいるだろう。それでも「二つのグループが路上で出会う」という設定と、「見定め役」、「メッセージの直接の受信者にして伝送者」、「声をかける側」という個々人の基本的な機能は継承されているとみられる。ただ「媾曳における」という前提が失われるのである。想定される主題について、ここで詳しく述べることはしないが、いずれ三人の〈かたち〉と〈いみ〉をもとにして、作品そのものの新たな〈いみ〉が生み出されていると考えられる。以上のように第二のパターンにおいては、態意の継承と利用を基本に、機能は変更もしくは部分的継承にとどめ、新たな主題に〈かたち〉を組み込んでいく、という構造が見て取れる。第一のパターンとは対照的に、ミニマムな〈かたち〉=仕草を重視
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