鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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注「姿型」は奥平俊六氏の造語である。奥平俊六「縁先の美人―寛文美人図の一姿型をめぐって―240―た〈かたち〉が力を持ち、手本となって継承されていく、というのが、風俗画におけにしても、大変シンプルな継承法を取っていると言える。同主題を再現するときは、顔つきや背景表現には工夫を凝らしても、姿型にはほとんど手を加えないし、新たな主題に姿型を組み込む場合は、もとの機能や態意に拘泥しない。本研究で述べた「引用」の第1パターンや、「転用」の第2、3パターンに相当する継承がほとんど見られないと言え、よく言われるように、形、フォルムの面白さに注目する宗達の特徴が際立ってくる。浮世絵の場合はどうか。浮世絵ではそれが前提であると言ってもいいほどに、先行図様の借用が常套化しているが、その手法は風俗画に比べて複雑化したうえでシステマティックになっている。鈴木春信が引用・転用の別なく、自身の生み出した図様及び姿型を分解、再構成して大量の作品を生み出してしているのがいい例である(注9)。一方で春信は西川祐信の作品をほぼコピーと言っていい形で再現しており、両極端とも言える手法を見せる。前者は生産性の問題と関連し必然的に行われ、後者はパロディ的な面白みを狙ったものと考えられるが、いずれも浮世絵の特質を如実に反映していると言えよう。振り返って、風俗画における図様継承の特質を考えてみると、それは〈かたち〉そのものが持つ〈いみ〉の強さにある、と言えるのではないだろうか。風俗画は現実の風俗、人々の姿を絵画として再現する。人々が何をしているところなのか、どういう情景が繰り広げられているのか、それを明確にすべく人物像は形成される。つまり態意、機能、主題といった〈いみ〉を的確に表現すべく、仕草、機能、図様という〈かたち〉が作られていく、ということである。その中でも特に〈いみ〉を的確に表現しる図様継承の実態ではないだろうか。そしてそれは、結局のところ、もととなる文字テキストを持たないという、風俗画の本質と関係してくると言えよう。しかし、〈かたち〉は継承を重ねることで次第に〈いみ〉を失い、その力を衰微させていく。〈いみ〉という風俗画の本質を忘れた果てに現れるのは、〈かたち〉の美しさを追求する「美人画」の世界である。近世初期風俗画と次世代の寛文美人画との差異も、双方の図様継承の実態を比較することで明確になると思われるが、それは今後の課題としたい。―」『日本絵画史の研究』吉川弘文館、1989年。

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