鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―259―17, 25, 28, 30, 62, 68)や、中国の西方に聳え西王母が住むとされる崑崙山(24, 25, 45)がまず挙げられる。これらに加えて中国国内に実在する霊山として巫山(四川・湖北省の省境、no.2,15, 18, 32など)、天台山(浙江省、詩ではその一峰である赤城山を詠う例が多い、no.12, 13, 17, 28, 86など)がある。巫山は、楚の懐王が巫山の神女に会い想いを通わせたという、戦国・楚の宋玉「高唐賦」(『文選』巻19)の故事が、詩におけるイメージの基礎になっている。天台山は、仏教の聖地として知られているが、東晋・孫綽「遊天台山賦」(『文選』巻11)に詠われているように、古くから神仙の住む山とされ、道教にとっても重要な地であった。玄宗に重用された道士・司馬承禎が本拠地とした場所でもある。神仙の住むとされる山岳は、中国各地に存在しているが、神仙山水について詠う詩のイメージには、以上の仙山、霊山に集中する傾向がみられ、五岳の信仰などとは単純には一致しない点が注意される。なお、東晋の陶淵明「桃花源記」において、武陵(湖南省)にあるとされた桃源郷を描いたものが2例ある(no.56, 58)。唐代の神仙山水における特徴的な画題の一つに、海図がある。『歴代名画記』巻九において李昭道が「海図の妙を創めた」と簡潔に記されるのみの実態不明の画題であったが、詩にはそれに関するものが複数みられる(no.21, 23, 62, 68, 75など)。これについては、筆者は以前に考察を行い、海図が大海の波濤を描写の中心とし、蓬莱、方壺、瀛州などの東海の仙山ともモチーフ、イメージの面で関係の深いことを明らかにした(注5)。それは、宮中の壁画から(no.62, 68)、文人の宴席(no.75)、また工芸意匠に至るまで(no.23)様々に受容されており、広く普及していたことが指摘できた。さて、これらの仙境が、詩人たちにどのように詠われたかに注目すると、崑崙山図(no.24, 45)、巫山図(no.15, 18)のような単一の仙境の描写とされるものもあるが、むしろ蓬莱、崑崙、巫山、天台などの仙境を、一首中に複数詠み込む例(no.2, 12,13, 17, 25, 28)が多いことが分かる。中には、広大な海水と高峻な山岳描写の双方を兼ね備えたとみられる山海図と称されるものもあり注目される(no.11, 17, 34)。中国の領域内から東海、西方までを含む広大な地域が同時に詠われたのは、やはり作品そのものが、雄大な山水景観を描いていたためと考えられる。「粉図」、「粉壁」と称されるものが散見されるように(no.2, 9, 12, 13, 14, 31など)、当時の山水画では壁面に顔料を用いて描かれた大規模な青緑山水壁画が多く制作され、その壮麗な描写は、観るものに仙境へのあこがれをかきたたせたものと推察される。現存作品では、

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