―19―られ、「二見浦」では百拙が名所に因んだ和歌を思い出し、秋月が描かれている。しかしながら、双方の図巻ではモチーフの取り扱い方は異なり、「陸奥奇勝図巻」において八景モチーフは名所を暗示するために、一種記号的・説明的に扱われているのに対し、「城崎温泉勝景図巻」は、八景を自由に配置構成し、潤いに満ちた狩野派の山水図巻、例えば狩野探幽(1602−1674)の瀟湘八景図の画面構成にむしろ類似している。たとえば、武田光一氏が指摘するように、「陸奥奇勝図巻」の構成は「瀟湘臥遊図巻」(東京国立博物館)に近く、図巻を開く過程で上下に視点が移動するように、金澤で大雅が中国山水画の形式に学んだことが想定される本格的な作品である(注10)。その一方、「城崎温泉勝景図巻」に見られる、山水が生じる霞に溶け込んだような八景モチーフは、狩野探幽筆「富士山図」(静岡県立美術館、〔図17〕)の「洞庭秋月」や「遠甫帰帆」、「雑画巻」(大英博物館、〔図18〕)に見られるイメージに近い。このように本図巻には、見たままをそのまま描く実証的な姿勢と共に、狩野派の瀟湘八景図巻に繋がる要素が見られるのである。さて、既に中国では明に隆盛した紀遊図に真景的な要素の萌芽が見られるが、本図巻との直接的な影響関係は想定しにくい。例えば、沈周の「虎山十二景図」(クリーブランド美術館)に見られる注意深く三層に配された山々や、文徴明の「関山積雪図」(台北故宮博物院)のような精密で遠くなるにつれ、除々に形態が変化する景観表現と比較すると、本図巻は、狩野探幽が創り出した柔らかく情緒的な図巻に類似し、本格的な紀遊図とは一線を画している。このことは百拙が当時、参考にできた紀遊図が限られていたことが考えられる。しかしながら、本図巻の巻末に百拙と旅を共にした友人同士の会話がクローズアップして描かれている場面は、沈周の「虎山十二景図」に見られるように、景観を略し、聖地を見上げながら会話をする旅行者に焦点を当てた描写方法と類似する。双方とも、宴をなす人物の間に調和を出すことで、画家自身が体験した景観に、鑑賞者を臥遊させる仕掛けがみられる。また、本図巻は巻頭に題字を書し、明の銭lの排律を踏襲した詩を付すといった点でも、明末の紀遊図の影響を受けていると考えられる。さらに、主題選択として、五山や黄山のような奥深い秘境ではなく、温泉地という馴染みのある場所を描くという点でも、本図巻は沈周以降の紀遊図と共通する。百拙は『八種画譜』・『芥子園画伝』から人物のモチーフを部分的に借りながらも、何らかの紀遊図を参考にして描いた可能性が考えられる。
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