―271―ていなかったことは明らかで、当時はむしろそれが当たり前のことであった。これはやはり1493年、デューラーの師匠ヴォルゲムートとプライデンヴルフが木版挿図を担当して刊行されたハルトマン・シェーデルの通称『ニュルンベルク年代記』でも、凡そ600枚の版木で1800点あまりの挿図をまかなっていたこととも対応する。ヴィッテンベルクの聖遺物カタログは、こうした当時一般的であったと思われる印刷慣行(あるいは読者の視覚習慣)と真っ向から対立するものであった。ここではむしろ木版挿図が文字を圧倒している〔図2、10、11、12〕。先行諸例においては、どちらかといえば挿図が遠慮がちに欄外や文字の間隙に配置されているのと対照的に、こちらでは文字は図版の脇で、時に読みにくいまでの改行を余儀なくされている。一頁全てが挿図にあてられていることすらある。また、従来の聖遺物カタログでは、聖遺物容器及び聖遺物の説明は、常に同じ大きさの文字で表記されていたが、ヴィッテンベルク本では最初の一行ないし数行が他に比して遥かに大きく印字されている。単に冒頭の数語のみが大きな文字となっているに過ぎないこともあるが、多くの場合聖遺物ではなく、その容器の説明に大きな文字があてられており、しかも容器の説明が先行諸例に比べて詳細になっている。このような挿絵と文字との比重の逆転と、テクスト中での容器についての説明の比重の増大は、人々の興味関心が実際に見ることが不可能なことの多い聖遺物よりも、入念な装飾を施された高価な工芸作品であることが多い聖遺物容器に向かい始めていることを示唆しているかのようでもある。では、クラーナハによる挿図は聖遺物容器の実際を忠実に、迫真的に伝えているのだろうか。ヴァイマール古文書館に残されるクラーナハ工房によると思われる聖遺物容器の模写素描とこのカタログとを比較すると、クラーナハ自身の手による木版画の方が、遥かに質の高さを備えているとはいえ、必ずしもオリジナルの容器の形状を正確には伝えていないことが明らかになる(注17)。技量という点では遥かに劣る複数の画家の手になるものの、ヴァイマールの一連の素描が容器の外観を、クラーナハ自身による木版挿図よりも忠実に伝えていることは、両者をヴィッテンベルクに由来する数少ない聖遺物の一つ、聖エリーザベトのグラス自体〔図13〕と比較してみると一目瞭然である(注18)。このエジプト伝来とも言われるグラスの側面に凹凸により生み出された文様を、素描〔図14〕の方が簡潔とはいえ、比較的忠実に再現しているのに対し、クラーナハはグラス自体を実見していなかったとみえ、木版画〔図15〕では側面にニンニクか小たまねぎが付着したかに見える当時の西欧においては別段珍しくもないグラスを描いている。その他の聖遺物容器についても、模写素描と木版挿図とを比較してゆくと、大体において同様の傾向が指摘されよう〔図16、17〕。クラーナ
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