中近世伊勢物語絵研究―279―――能とのかかわりを中心に――研 究 者:社団法人霞会館 学芸員 大 口 裕 子本研究は、『伊勢物語』の絵画(以下、伊勢物語絵と呼ぶ)の中から、本文に具体的な記述がないものが描かれた119段を取り上げる。単に本文と絵画とのかかわりだけでなく、他分野の『伊勢物語』享受を視野に入れつつ、特に能との関連から(注1)、その典拠を考察し、中近世の伊勢物語絵の一面を呈示することを主眼とする。119段の本文(注2)は、むかし、女の、あだなるおとこの形見とてをきたる物どもを見て、形見こそ今はあだなれこれなくは忘るゝ時もあらましものをと短い。本文には「形見」は具体的に示されないが、この段は室町後期からたびたび絵画化され、形見の品も描かれてきた。本研究では、この章段の求心軸であり、『古今和歌集』にも収められる「形見こそ今はあだなれこれなくは忘るゝ時もあらましものを」の和歌(以下、「形見こそ」と呼ぶ)に焦点を当て考察してゆきたい。1、『伊勢物語』119段の絵画平安時代成立の『伊勢物語』は、在原業平と目される男の一代記の体裁をとり、男女、親子、主従、朋輩などの間の普遍的な愛情の形や心の軌跡を描いた歌物語である。伊勢物語絵(注3)の嚆矢は、『源氏物語』「絵合」巻の記述から、平安時代の『伊勢物語』の成立直後であると考えられるが、鎌倉時代の遺品として、平安時代(12世紀)の作品を写したとされる「白描伊勢物語絵巻」(断簡、諸家分蔵)、また「伊勢物語絵巻」(残欠一巻、和泉市久保惣記念美術館蔵)が遺る。続く室町、桃山にも数点の絵巻や絵本が遺る(注4)。伊勢物語絵史上の転機が、慶長13年(1608)、嵯峨本『伊勢物語』(以後、嵯峨本と呼ぶ)の刊行で、既存の図様を活用しながら制作されたと考えられる49の挿絵(注5)も含まれ、版を重ねて流布していった。嵯峨本119段の絵画〔図1〕に関しては、久下裕利氏の先行研究があり、「嵯峨本伊勢物語の〈男の形見〉図は、源氏絵の作例とは管見の及ぶ限りでは関係をもち得ないけれども、『源氏』での男女別離の場面をイメージ化することによって仕立て上げられていると読めそうなのである。」と指摘された(注6)。一つの絵に複数のイメージ序
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