鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―20―『漁家傲』からは、桃島以外の場所でも、百拙は実際の景観を見る際に中国の景観を重ねて詩を詠んでいる様子が分かる。まず、七言律の部のうち、「戊戍(1718)秋九月浴城崎温泉」(その2)では、清流や鶏に桃源郷の暁の様子を読み取り、さらに、「津山海門眺望」では津山を仙境に見立て、赤壁に遊ぶ境地を読む。また、五言律の5.本図巻の制作背景・伝?園南海の勝景図巻との関係百拙には多くの詩文集が存在するが、なかでも、『漁家倣』(法蔵寺)は享保3年(1718)から10年(1725)までの百拙が但馬豊岡興国寺第五代住持であったときの詩文集であり、そこからは、図巻成立前後に百拙が紀遊した場所に対する感慨が窺い知られる。例えば、本図巻の跋文に書された排律もまた『漁家傲』に載せられている。部の「新秋有感用前韻」では、萩周辺の景観を赤壁に例え、七言絶の部では温山を驪山に見立てている。このように、百拙の語録の中では、紀遊しながら目の前の景色に中国の名勝を重ねて詠む例が多く散見され、五山僧同様、中国への強い憧憬の念によって、本図巻が制作された背景が分かる。さて、百拙以後、大雅以前に活躍した文人画家の真景図の代表作品としては、伝?園南海筆「紀州写生図巻」が挙げられる。また、その他に狩野派風の伝?園南海筆「博多八景」(1732年、パワーズ・コレクション蔵)が挙げられる(注11)。「紀州写生図巻」では、固有名詞を書した付箋が名所の上に貼られ、山々を側面から捉え、皴法を施さない部分もあり、一見、素描風に見える。しかしながら、木々を一本ずつ丁寧な筆跡で写し、皴法の種類を違えて描くところや、宮参りの航程を黄色の直線で示しているところなど、実際に歩いた人物の視線が感じられる。山々を丸く輪郭線で縁取り、頂上を尖った形状で表すなど、舶載された版本の影響が見られるが、百拙の図巻と同じく、遠近感に欠け、明代の紀遊図巻の構図には類似しない。むしろ、絵地図的な要素が強いのである。「博多八景」は、百拙の図巻より素早い筆致であるが、同じく側面から山々の景観を捉え、落雁、秋月などの八景モチーフが散りばめられている。大雅以前の勝景図巻では、部分的に真景的表現の萌芽が見られても、構図の上から直接的に紀遊図の影響は感じられず、絵地図的な要素が依然、強く表れている(注12)。6.おわりに以上、絵図と名所にまつわる八景にモチーフを借りながら、自ら山水に遊んだ体験を描いている点で、「城崎温泉勝景図巻」は「陸奥奇勝図巻」の先蹤をなす作品といえる。しかし、「陸奥奇勝図巻」が一種記号的なモチーフの扱いや、上下に視点が移動する画面構成が「中国絵画的」であるのに対し、「城崎温泉勝景図巻」は狩野派の

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