鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―281―さらに、当時の舞台の演出資料である型付や装束付で文献から演能の実際を見ると〔表1〕、烏帽子の形状に異同はあるが、形見の品は烏帽子と衣として舞台の上で演じられていたことが確認できる。また、室町時代後期から江戸時代前期にかけて、能の謡本を詞書にし、絵巻や絵入り冊子にすることが行われた。例を挙げると、〈隅田川〉を絵巻にしたニューヨーク・パブリック・ライブラリー蔵(スペンサー・コレクションうち)「すみた川の草子」(注12)、〈三井寺〉を絵巻にした王舍城美術寳物館蔵の「三井寺絵巻」(注13)などがある。特に、「すみた川の草子」は、元和4年(1618)能役者の福王神右衛門盛義がみずから描いており、小林健二氏は型付・装束付との比較により、当時の能の舞台を描いた絵画史料として活用できると指摘された(注14)。〈松風〉も、御伽草子絵として伝わっている。それは、「松風村雨」(1巻、ニューヨーク・パブリック・ライブラリー〈スペンサー・コレクション〉蔵、以下、スペンサー本と呼ぶ)(注15)、「松風村雨」(1巻、王舍城美術寳物館蔵、以下、王舍城本と呼ぶ)(注16)、「謡絵本松風」(1冊、大阪女子大学附属図書館蔵、以下、大阪女子大本と呼ぶ)(注17)の3本である。小林氏によると、スペンサー本は室町末期頃、王舍城本、大阪女子大本は江戸初期頃の製作であり、3本は形態・挿し絵の面から直接的関係はなく、異なった製作動機が想定されている(注18)。これら3本の形見の品を見ると〔表2〕、立烏帽子と風折烏帽子があり、先に型付や装束付で確認したのと同様、その形状は確定しないが、烏帽子と衣である。3、「扇の草子」さらに、この「形見こそ」の和歌が、『伊勢物語』や『古今和歌集』にとどまらず、〈松風〉の詞章として同時代に理解・享受されていたことを、「扇の草子」から示したい。「扇の草子」は、室町時代から江戸時代初期にかけて流行した作品群で、扇型をかたどった中に絵を描き、その周囲に絵に関する歌を散らし書きする。その歌は、勅撰集所収の歌から出典未詳の歌まで広範囲で、能や説話に含まれる和歌もある。絵の様式は、良質の顔料でやまと絵ふうに丁寧に描かれたものから、素朴で簡略な御伽草子絵まで多岐に渡る。「扇の草子」は室町後期から江戸時代初期にかけて断簡も含め20数点あるが、その伝本の一種で、室町時代末から江戸時代初期頃成立と考えられる根津美術館蔵「扇面歌意画巻」の中の119段の和歌を持つ扇面〔図3〕も、〈松風〉を絵画化したと考えられる。松の近くで、女が袖を手に当て、地面に置かれた立烏帽子と衣を見ている。女は松風で、袖に手をあてるのは能の舞台のシオリを表現していよ

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