鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―282―う。また、烏帽子と衣は行平の形見、松は行平に見立てられるものであろう。この扇が〈松風〉を表していることは対応する和歌も証左となる。「かたみこそいまはあたなれこれなくはわするるひまもあらましものを」の和歌が書かれるが、留意すべきは、四句目が「わするるときも」ではなく「わするるひまも」となっている点である。「わするるひまも」は稀であるため(注19)、〈松風〉と判断するのが妥当であろう。この和歌が『伊勢物語』を離れ、〈松風〉として理解されていた例である。4、注釈書『伊勢物語宗印談』ところで、伊勢物語絵に能のイメージを重ねて享受することは、『伊勢物語』の注釈書である『伊勢物語宗印談』(以下『宗印談』と呼ぶ)にも見られる。『宗印談』は、巻頭に、「伊勢物語聞書 宗印談 大永三年十一月六日」と書かれた注釈書である(注20)。大永3年(1523)は〈松風〉の成立から100年以上たち、中尾家本やチェスター本にやや先行すると考えられ、嵯峨本成立の約80年前である。宗印なる人物は比定できず、「宗」とつく名前と注釈書の内容から、宗祇の流れを汲む連歌師であろうと推測されている。また、石川透氏により、『宗印談』のような注釈書や注釈の場が室町時代の御伽草子の制作に関わったことが指摘されている(注21)。ここで、『宗印談』の特徴として新たに指摘したいのは、能の知識を援用しつつ注釈をしていることである。119段を以下に翻刻する。(句読点、傍線は筆者による。)一、むかし、女、あたなるおとこのかたみとてをきたる物をみてとは、行平、須磨に侍りしに、きらくの時、ゑほしかり衣をおくとそ。かたみこそ今はあたなれ是なくは忘るゝ時もあらまし物をとは、人の恋しきにはかたみをみれはいやまさりにおもふとそ。男を行平とする点、行平が須磨から帰洛するという状況設定、形見の品を立烏帽子ではないが「ゑほしかり衣」とする点は、〈松風〉そのものである。また、管見に入った『伊勢物語』の古注釈(平安末期から室町初期までの注釈)で男を行平とするのに「伊勢物語歌之注」(注22)、石川透氏蔵本「伊勢物語註」があり、数は少ないものの、〈松風〉を踏まえて119段の主人公を行平とする解釈があった事は注目される。一見すると荒唐無稽な、人物や日時を特定するなどの特徴を持つ「冷泉家流伊勢物語抄」や「難儀注」などの中世の『伊勢物語』の注釈書が能に影響していることは、伊藤正義氏ら先学により既に論じられているが(注23)、逆に『伊勢物語』の解釈・享受に『伊勢物語』に関わる能の知識が用いられたことは特記すべきであろう。以上、能〈松風〉の詞章と演出史料と絵巻、「扇の草子」、『宗印談』の三点の検討

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