鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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結「形見こそ」の和歌に注目して検討した結果、中尾家本の119段の絵画は能〈松風〉のイメージが底流にあるという私見を呈示した。119段は単語の数が少なく抽象的であるがゆえに『伊勢物語』以外のイメージも付加される余地が多分にあり、和歌を媒―283―を通じ中尾家本の形見の立烏帽子と衣の由来が、能〈松風〉であると考えるに至った。衣は〈松風〉の詩章にある「狩衣」であるか確認できないが、〈松風〉の舞台で、「長絹」や「舞衣」となっていることからも、〈松風〉として大過ないだろう。共通する「形見こそ」の和歌が媒介となって、〈松風〉のイメージが中尾家本の119段に重ねられていると考えられる。5、嵯峨本へと至る119段の伊勢物語絵最後に、以上を踏まえチェスター本とその系譜上にある嵯峨本の119段を考える。チェスター本は、形見が被り物と衣であることは中尾家本と共通するが、被り物は中尾家本が一般的に私的な場面で用いる「立烏帽子」だが、チェスター本は公的な場面で用いる「冠」である。嵯峨本では、襷文らしきものが衣にみえる。冠をかぶった業平が三重襷文のバリエーションのひとつの業平菱の直衣を着る場面が、嵯峨本では8段「浅間山」、9段「八橋」など49場面中6場面あるため、嵯峨本の形見も直衣と考えられる。すなわち、業平の記号として冠直衣が描かれている。世阿弥の能〈井筒〉で女が業平の形見の「冠直衣」を身に着けて舞う例にもみるように、チェスター本と嵯峨本では〈松風〉を下敷きにしながら、業平の象徴として「冠直衣」に変化したと考えられるのではないか。主人公が〈松風〉では行平で、『伊勢物語』では一般的に業平とされていたことからそのような改変が行われたと推察される。文学作品の初の印刷という意義を有する嵯峨本は以後の伊勢物語絵を決定付けるが、119段の形見の品は〈松風〉を内包してほぼ固定化したといえる(注24)。嵯峨本の形見の品はチェスター本の冠・衣に加えて筝が描かれている。形見の品は「冷泉家流伊勢物語抄」系統に具体的に記されている。この系統の注釈書は、後世の能や御伽草子類への影響も指摘されており、「和歌知顕集」系統とともに中世を代表する注釈書であるが、それらの中には形見を「筝の爪」、「筝爪」などとするものもある。しかし筝爪は小さいため嵯峨本で筝の本体として描かれたと解釈しておきたい。介として、流行していた〈松風〉が重ねられたのであろう。他の『伊勢物語』を本説とする能、たとえば〈雲林院〉〈井筒〉などと異なり、〈松風〉の根幹に『伊勢物語』

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