鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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物の質感の表現について―288―――1910年代半ばから1920年代の日本油彩画における光沢の表現をめぐって――研 究 者:東京文化財研究所 美術部研究補佐員  小 林 未央子はじめに日本の油彩画には、高橋由一の《鮭》や《豆腐》〔図1〕にみられるような質感表現の歴史がある。たとえば由一の《豆腐》は、画布上に絵具によって豆腐を生み出そうとしているとも言い得るような表現となっていて、そこでは、対象物の持つ材質感を丹念にあらわそうと努めていることがわかる。一方で画布そのものがもつなめらかな表面のゆえに、観る者の触覚を刺激する作品もある。岸田劉生は1910年代半ばに、後期印象派の影響から離れて、細密な描写で対象物に肉薄する表現をみせた。由一と岸田の質感の表現に対する時代を超えた共通性についてはすでに指摘されている(注1)ところであるが、その頃から始まり、1920年代には、村山知義《コンストルクチオン》〔図13〕のように作品の中に絵具以外の物質を持ち込んだ構成物もみられるようになった。1910年代半ばから1920年代にかけての作品を、このような質感の表現のしかたについて見直してみるとどのような事が言えるのか。そこには、物の存在や物そのものに寄せられた関心があったのではないか。それは表現傾向や所属団体を超えた、物質と精神という概念によって支えられていた共通認識だったのではないだろうか。由一は洋画局的言において、「西洋画法ハ物意ニ起リテ筆意ニ終ル」(注2)と言った。これは対象物にまず意を払うことだと考えられようが、ここにはすでに物質と精神への意識が認められる。1.作品の検討ここでは、まず質感の表現のされ方を、岸田劉生、小出楢重、河辺昌久を中心に、主に静物画をとりあげて検討する。岸田劉生した。それは「その土や艸は、どこ迄もしつかりと、ぢかに土そのものゝ美にふれてゐる。」(注4)と岸田が述べる通り、土の手触りや厚み、質量を観る者に伝えている。《道路と土手と塀》は、切り取った光景を描写するというよりは道路と土手と塀を純ママ「そのものといふ感じを与へる事に於て、表相の視覚的特質と触感とは一致する」(注3)という岸田は、大正4年(1915)、《道路と土手と塀(切通之写生)》〔図2〕で、由一が豆腐の三態を画布上に再現しようと試みた如く、土塊と小石と草を描き出

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