鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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注池大雅の真景について論じたものには以下のものがある。 『世界美術辞典』新潮社,1995年,735頁■山下善也「探幽の作画にみる真景図の萌芽」『描かれた日本の風景』静岡県立美術館,1995年■大槻幹郎『文人画家の譜』ぺりかん社,2001年。注の酒井氏論文にも大雅の「陸奥奇勝図巻」■田中喜作「日本南画の数家子、上―百拙元養と予楽院」『美術研究』134,1944年、田中喜作「百拙和尚行状」『美術研究』137,1944年、大槻幹郎「画僧百拙について―その伝記的素描―」『史跡と美術』370,1966年などの伝記研究がある。■明治大学の池澤一郎助教授に御助言を賜った。■『中国佛寺史志彙刊』明文書局股Y有限公司,1980年■中島純司「やさしく極める水墨画」『芸術新潮』新潮社,1987年荻原一郎『城崎文学読本』城崎温泉観光協会,2003年―21―実景図や瀟湘八景図巻のような、山水に溶け込んだ自然な画面構成に類似する。この事は当時、百拙が参考にできた中国絵画資料が限られていたことによるであろう。また、狩野派の名所絵の伝統の中にありながら、「明石」の洞窟など、見たままを描こうとするところには、伝?園南海の山水図巻と同じ時代の実証主義的な見方が感じられる。さらに、自らを中国文人に変え山水に描き加えるところには、大雅の「児島湾真景図」(細見美術館)に表された中国文人風のモチーフなど、日本の風景を中国文化に見立てた、真景図を思わせる。「城崎温泉勝景図巻」には、辻氏の述べる「日本の風光に中国の衣装を着せる」という大雅の真景図の要素の萌芽が見られながら、狩野派の伝統的な名所絵の範疇に留まった、名所絵と文人画の真景図を繋ぐ実景図といえるのである。佐々木丞平「日本文人画論の確立―桑山玉洲の真景論をめぐって―」京都大学美学美術史学会編『芸術的世界の論理』,創文社,1972年成瀬不二雄「池大雅筆『朝熊嶽真景図』について」『大和文華』65,1980年、同(補遺)『大和文華』66、1981年辻惟雄「真景の系譜―中国と日本―上」『美術史論叢』1,1984年武田光一「池大雅『真景図』に関する調査報告」『鹿島美術財団年報』2,1984年辻惟雄「真景の系譜―中国と日本―下」『美術史論叢』3,1986年酒井哲朗「日本南画における真景の問題について」『宮城県美術館研究紀要第2号』,1987年メリンダ・タケウチ「日本人の文人画の真景図について」『日本美術全集19』,講談社,1993年佐藤康宏「真景図と見立て」『東洋美術における写実』国際シンポジウム,1993年小林優子「池大雅筆『浅間山真景図』について」『美術史』134,1993年の先蹤をなす作品と紹介されている。雪舟の「天橋立図」が他の絵画作品と反対側からの視点で描かれている一方、「成相寺参詣曼荼羅」と天橋立を捉える視点の方向が類似し、このような参詣曼荼羅が天橋立の描く方向に自由な発想を与えた可能性が指摘されている。

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