―292―布と綿を使った縫いぐるみが釘で打ちつけられ、ロクロでひいた木の円板や、各種類の布類やブリキや毛髪が釘付けされており、ドイツの絵入り新聞「イルストリールテ・ツアイトウング」から切り抜いたグラヴィアがいろいろと貼りまぜてあり、さらにあちこちが油絵具で塗りわけられている」(注15)ものである。まさにこの通りの作品で、矩形をはみ出した木材はもちろんのこと、作品内は多くの「物」で賑わい、それらは毛髪にみられるように観る者の触覚(注16)を刺激する。ここでは河辺とは違い、イメージとしてではなく実際の物質が二次元の画面内に持ち込まれているのである。2.物質についてここまで、数人の作品をとりあげて各々の作品の物質の扱い方、その姿勢を検討してきた。これまでみてきたように、筆者は本論で設定した年代においては物質への関心が高かったと考える。それは物質自体への関心であり、物質としての存在感への関心である。ではそれは何に起因するのだろうか。そこには何らかの背景を想定できないだろうか。ここでは、物質と精神との相関の可能性を提示しておきたい。1910年代半ば以降の展覧会評は、そのほとんどが印象批評ではある。それでも、その中には「新しい物質感」(注17)や、逆に「必要な物質感と確かな存在感」(注18)の不充分さが指摘されているものもある。あるいは、硲伊之助の第5回二科展出品作に対して「ブリキの光りの如き冷さ」と言ったあと、岸田にも硲との共通性を指摘した上で、岸田の精緻な表現に対してオランダの画家を例にひき、実物と全く同じに見えるまで描こうと努力している(注19)と言う。これらの物質への指摘は、発言者が作家や評論家であることからも、同時代の作家たちが抱いていたある種の物質観を示しているだろう。それは高村真夫が未来派の展覧会に対して言うところの「我々が住む二十世紀の文明は、全く電気と光と力学との物質の世界になつた。」(注20)という、物質への認識にも通じる。そしてこの物質への認識は、現在やや陳腐にも感じられる物質と精神との相関関係において認識されていた言葉ではないだろうか。大正4年(1915)に哲学者であり批評家である田中王堂によって言われるときから、「物質的精神的といふ言葉はこれまで吾々が随分聴きふるした言葉」(注21)であって、対立項目としては何ら目新しさを感じない「物質」と「精神」である。しかしそれを両者の関係性の中で考えてみると、物質に寄せられた関心が、当該年代に突如として登場した概念ではなく、うねるような日本近代美術史の中でひとつの位置を示していることに思い当たるのである
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