鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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注芳賀徹『絵画の領分 近代日本比較文化史研究』朝日新聞社、1984年4月。北澤憲昭『岸田劉 青木茂編『高橋由一油画資料』中央公論美術出版社、1984年3月、215頁所収。■岸田劉生「写実論」『劉生画集及芸術観』聚英閣、1920年初出、『岸田劉生全集』第二巻、岩波■岸田劉生「思ひ出及今度の展覧会に際して」『白樺』10巻4号、1919年4月、369頁。■萬木康博「《静物(赤き林檎二個とビンと茶碗と湯呑)》について――劉生静物画群のなかでの一考察――」『ふくやま美術館研究紀要』創刊号、ふくやま美術館、2001年3月。濱本聰「岸―293―(注22)。先に引用した文章の中で田中は、明治の文明は物質的であったので、大正に入った時に、大正の文明は精神的でなければならないと聞かされたという。欠点である物質文明を精神化するためにいくつか方法を提示し、そのためには現実を見、自然に含まれる傾向までも見よと言い、「物を在るまゝに見るとは断片的にこれを見ることでは無くして関係的にそれの精神を見ることである。」(注23)と言った。このような、対立しつつも不可分である関係に、物質と精神はあったのではないか。それはたとえば、岸田が「写実論」の中で述べる「たとへ、物の美の描写は乏しくなつても、精神が実在を借りてゐる以上、その精神も一つの実在である。(中略)物質や、物質の美のみが実在ではない。物があればその精神もある。」(注24)と言うところもので、どちらが欠けてもいけないのである。つまり、制作や言説にみてきたような物質への認識は唐突なものでは決してなく、物質と精神との間で涵養されてきたものなのではないか。揺り戻しを繰り返す中で、いっとき掬いとることが可能な認識なのではないだろうか。おわりに以上、当該年代の作品の光沢の表現のされ方に着目し、物への関心と質感表現を同時代のひとつの傾向として考えてきた。そしてそれは物質と精神の相関関係の中にあると考える。このように、物質観や質感表現に着目することは、表現傾向や所属団体の枠にとらわれない当該年代の表現を、由一から続く質感表現の歴史の中においてみることであり、触覚を刺激するという日本油彩画の性格のひとつを確認することでもあった。今後は、関東大震災を挟んだ物質観の変化や新素材の登場、その活用なども当然視野に入れて、質感表現の何が断絶し、何が継承されたのかを検討する必要がある。生と大正アヴァンギャルド』岩波書店、1993年11月。書店、1979年6月、425頁所収。

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