鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―301―(注2)。北宋前半の定窯白磁には〔図5・6〕に比べ浅い浮き彫りの〔図7〕があり、き彫り文様があり、〔図6〕はほぼ〔図5〕と同様の花〔a〕と葉〔b〕が見られる花文(a1)は〔図5・6〕と同様の構成だが、花文〔a2〕は花芯とその周囲に三花弁を配している。それぞれ全開と半開の花の様子を表しており、細部は〔図5・6〕よりもかなり細かい線刻が施される。この種の文様は定窯では北宋中葉後半まで続いている(注3)。工芸品では、太平興国2年(977)の河北省定州静志寺舎利塔地宮から金製棺が出土し、〔図8〕はその上面に施された牡丹文で、小円を花芯にして同心円状に花弁を配する花文が見える。越州窯青磁では、金銀器に範をもった文様が多いとされ、五代に毛彫り文様が急速に発達する。合子の蓋上面にみえる牡丹文〔図9〕は、〔図8〕と同様の構成の花〔a〕をもつが、宋朝系葉文〔b〕はやや複雑な構成をしている。越州窯の毛彫り文様の影響を受け、五代末から北宋初期にかけて類似した毛彫りの花文と宋朝系葉文をもつものが耀州窯青磁で作られるようになる。(2)北宋中葉・後半(1023−1127)五代末・北宋前半の陶磁器文様において主流を占めたのは、剔花(浮き彫り)と劃花(毛彫り)による文様だったが、北宋中葉・後半になると刻花文(片切り彫り・櫛描文など)や印花文に変わって行く。五代末・北宋前半の剔花(浮き彫り)による牡丹文のモチーフは、〔図10〕の片切り彫りで施された耀州窯青磁の花文〔a〕に受け継がれる。三弁からなる花芯、それを中心に同心円状にならぶ花弁で構成され、宋朝系葉文〔b〕をもつ。花文と葉の細部に櫛描文を多用する。この文様は印花文でも多量に作られており、陝西省だけでなく河南省にある窯でも北宋中葉後半に大量に生産されていることが分かっている。磁州窯に見える〔図11〕の花文〔a〕は、円形の花芯、その周囲に花弁をもつもので、磁州観台窯二期後半(12世紀前半)に比定される〔図12〕のように櫛描文をもつものもある。華南では、景徳鎮窯の青白磁が完成する11世後半から12世紀前半にかけて、同様の花文が見られ、越州窯でも刻花と櫛描文をもちいた牡丹文が盛んに施される。陝西省および河南省などで流行を見せる〔図10〕に類似する文様が石刻に見え、景祐4年(1037)に建てられた河南省+義市芝田鎮後泉:にある修奉園陵之記碑座の〔図13〕には、三弁からなる花芯、それ中心に周囲に花弁を配する花文〔a〕と宋朝系葉文〔b〕が見え、細部を櫛描文風にする。工芸品においても同様の文様が、慶暦3年(1043)に写経を入塔したという浙江省瑞安市慧光塔出土描金堆漆舎利箱に見える〔図14〕。しかし、北宋中葉期の類例は少なく、北宋後半の石刻に類例が多く見られる

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