―305―落としによる浮き彫り文様〔図45〕にも見え、北宋前半期における耀州窯と磁州窯の関係の深さが知られ、北宋中葉・後半につづく(注4)。定窯の白磁では、浅い浮き彫りによる河北省定州淨衆院舎利塔地宮出土の〔図46〕の花文〔a〕があり、下へ向かって放射状にのびる細長い花弁を基部にし、その上に半円形の花弁を4段に重ねる。越州窯青磁に見える〔図47〕の花文〔a〕は、三弁からなる花芯、下へ放射状に伸びる花弁、上へ伸びる雄蕊が見える。開泰7年(1018)の紀年がわかる内蒙古自治区奈曼旗陳国公主墓出土の青磁皿〔図48〕に見える宝相華文は、花文を花芯にして、その周囲に同心円状に細長い花弁をもつ。(2)北宋中葉・後半(1023−1127)五代・北宋前半で見られた耀州窯青磁の浮き彫りによる〔図44〕に類似する宝相華文が、〔図49〕の花文〔a1〕にあり、刻花で放射状に広がる細い花弁、その上に半円形の花弁を三段に重ねる。花文〔a2〕は、三弁の基部に半円形の花弁を三段に重ねる花芯、それを中心に同心円状に広がる細長い花弁をもつ。11世紀中葉と比定される遼寧省義県清河門西山村第4号墓出土の定窯白磁〔図50〕の花文〔a〕は、〔図49〕の花文〔a2〕に類似しており、宋朝系葉文〔b〕をもつ。磁州窯枕に見られる〔図51〕の花文〔a〕は、円の中に三弁の基部をもつ花芯、それを中心に同心円状に並ぶ細い花弁を施し、宋朝系葉文をもつ。耀州窯、定窯、磁州窯ともにほぼ共通した文様をもち、耀州窯青磁に見える〔図49〕の宝相華文は印花文でも多量に生産されている。また、それとほぼ同様の文様をもつものが、河南省の窯跡でも印花文で多量に作られている。華南では景徳鎮窯の青白磁が完成する11世紀後半〜12世紀前半にかけて、花芯を中心に細長い花弁を同心円状に配する宝相華文が多く見え、越州窯でも刻花文による同様の宝相華文を見ることができる。同形式の文様は工芸品にも見え、浙江省瑞安市慧光塔塔出土の描金堆漆経箱に見える〔図52〕は、3弁の花芯を中心に細い花弁を同心円状に配している。墓葬美術では、北宋皇陵において北宋前半期に見られた〔図42〕に類似するものがある。元豊3年(1080)に埋葬されたことが分かっている慈聖光献曹皇后陵石柱に見える〔図53〕の花文〔a〕は、牡丹花に類似する花芯、それを中心に同心円状に配する細長い花弁をもち、晩期にいたりより雲文化する傾向にある。この種の文様は陶磁器にはあまり見られなかったが、「政和」(1111−1118)の年号を印花する耀州窯青磁に見える〔図54〕は、牡丹花に類似する花芯をもち、その周囲に鋸歯状の花弁を施しており、明らかに墓葬美術からの影響をうかがえるもので、『営造法式』にも同様の文様〔図55〕が見える。
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