鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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注耀州窯は発掘調査が行われ報告書が出版され、この種の文様は五代に比定されている。しかし、―306―(3)小結五代・北宋初期の墓葬に見られる〔図40・41・42〕と〔図43〕の耀州窯青磁は、花芯を中心に細い花弁を同心円状にめぐらす点は類似するが、花芯などに違いが見られる。これは墓葬美術が面的に広い空間を用いているのに対し、陶磁器にはその面的な広さがないことに起因しているものと思われ、陶磁器への影響はわずかである。五代・北宋初期の墓葬美術は、陶磁器や工芸品への影響は少なく、北宋中葉後半の墓葬美術〔図53〕などにつながり、『営造法式』にも同様の文様〔図55〕に反映されている。そして、北宋後半になり、陶磁器にも類似の文様〔図54〕が見えるが数は少ない。〔図47〕や〔図48〕の越州窯青磁に施される文様は、牡丹文や蓮花文の結論から見るとおそらく金銀器からの影響を推測できるが、良好な比較資料が無い。〔図49・50・51〕の刻花文で施される文様は北宋前半期に見えた文様の簡略化として見ることができ、〔図52〕のような工芸品にも同様の文様があり、双方向的な影響関係があったことをうかがわせる。6.まとめ以上、牡丹文、蓮花文、宝相華文の時代的な変遷をたどってきたわけだが、それぞれの文様が異なった発展をしていることが分かった。その中で陶磁器の中に五代皇帝陵の文様と類似の文様があり、これは伝統的な宮廷趣味を具現したものであり、それが施された陶磁器の評価は当時においても高かったと推察される。金銀器に表された文様についても同様のことが言え、金銀器と皇帝陵の文様の影響が推測できた陶磁器文様の評価は相当に高かったことが推測できる。また、北宋中葉後半には伝統的な宮廷趣味を具現した文様が、刻花文や印花文による大量生産の陶磁器によって急速に大衆化された。この大衆化により河南省を中心に華北地域の墓葬美術においても陶磁器に見られた文様が流行していることが分かった。このような流行は官撰の『営造法式』に影響を与えた理由のひとつに挙げることができる。大衆化した文様が宮廷に近い官撰の『営造法式』に残ったこの現象は、新興地主層など民衆が力を持った宋代という時代を反映した出来事といえ、必ずしも官から民の一方的な影響ではなく、民から官へという影響関係の図式も見られるのである。

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