アジャンター後期石窟における天井画の研究―313―研 究 者:名古屋大学大学院 文学研究科 博士後期課程 福 山 泰 子はじめにアジャンター石窟は、西インドのデカン高原に開かれた仏教石窟寺院で、紀元前後の造営となる前期石窟と、5〜6世紀頃に造営された後期石窟からなり、石窟を荘厳する壁画は、数少ないインド古代絵画の宝庫として、白眉の存在である。1819年の発見以来、さまざまな分野から研究がなされてきたが(注1)、後期石窟に関しては、寄進銘を残す石窟が僅かで損傷も甚だしいために、造営背景にある王朝や寄進者に纏わる諸々の情報が欠如し、造営年代に関しては未だ議論の決着を見ていない。そこで、本研究では、従来俎上に上ることのなかった天井画を取り上げ、未だ不明なアジャンター後期石窟の発展過程を僧院窟(第1、2、4、7、11、16、17、21窟)に残る天井画の側面から一つの方向性を提示したい。既述したように、編年研究は発見より二世紀近くを経た現在も、未だ妥当な結論を見出すことなく、19年の短期造営説から(注2)、150年程の造営期間を設ける説まで諸説紛々としている(注3)。従来の編年研究は碑銘と建築的特徴の形式分類によっており、同じ石窟の構成要素である絵画は顧慮されることがなかった。しかし、天井が開鑿過程において、列柱や壁柱、床面よりも最初に完成され、かつ天井画も側壁画(本稿では天井画と区別して垂直面の壁画を側壁画と便宜的に呼ぶ)の制作以前に制作されることを鑑みれば、天井画は編年問題を扱う上で有効な資料といえる。また、後期石窟の殆どが造営を中断或いは途中放棄しているものの、天井画制作までに達した窟が多く、作例に恵まれている。さらに、天井画は編年研究への応用だけでなく、当時、僧院が石窟のみではなく、木造や積石建築が一般的であったことが説話画から窺がえるように、それら木造建築による僧院の荘厳の様を知る上でも貴重な遺例であることは言を俟たない。なお、本稿では、紙面の都合から石窟プランを掲載しないが、注の参考文献を参照されたい(注4)。2.アジャンター後期僧院窟にみる天井画の遺例2−1 律文献にみる寺院装飾の規定と前期石窟にみる天井装飾後期僧院窟の天井画作例を取り上げる前に、律文献に寺院装飾に関して如何なる規定がなされ、また実際前期石窟に如何なる装飾が見られるのかを概観しよう。
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