鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
323/535

―314―「大神通変」、「五趣生死輪」を描くことが説かれ、続いて仏殿や講堂、食堂など各施僧団や僧尼に対する規則を記した律には、さまざまな寺院装飾に関する記述がみられる。『ヴィナヤピタカ』小品第六章には、僧院の荘厳に関して「女の姿・男の姿からなるパティバーナチッタ」、すなわちミトゥナは描写すべきでないが、花輪、唐草、鋸歯文、パンチャパッティカは許されるとある(注5)。また『四分律』巻第五十では、竜蛇像と兵馬像の描写を禁じ、装飾的文様を描くようにとあり(注6)、『摩訶僧祇律』巻第四十三では、僧院には男女和合像、つまりミトゥナ像は描くべきでないが、長老比丘像や葡萄蔓草、摩竭魚、鵝鳥、死屍、山林を描くことが記される(注7)。一方、『根本説一切有部毘奈耶雑事』巻第十七では、門入口に薬叉像、その傍らには設に描くべき主題が記される(注8)。残念ながら、律文献中に寺院の天井装飾について明確に言及した記述は認められないが、先の3つの律文献に比して『根本説一切有部律』において寺院における絵画の役割が増していることは疑いない。一方、前期石窟をみると、在家との関係が深いチャイティヤ窟、つまり仏塔を祀る窟では仏伝図や本生図が描かれているが、装飾文様は極めて素朴である。第9窟側廊天井には格子状区画に簡素な蓮華文〔図1〕、第10窟身廊列柱には蔓草文が描かれ、僧院窟第12窟の天井には、円形文様に花文が看取されるなど、初期の律文献に説かれる内容と特に齟齬はない。2−2 アジャンター後期僧院窟における天井画の遺例それでは、第1窟から順に各窟の建築的特徴と天井画の様相を確認しよう。第1窟は、柱の形式、前室と奥室からなる二重構造の房室から、後述の第16・17窟よりも発展したプランを呈する。右廊壁画が未完で、寄進に至っていないためか、広間天井画は色彩も鮮やかに残る。広間天井は中央に円形文様を配し、外周四隅にミトゥナを表す。その周囲は、窟内列柱を基準に精確に区画割りした木造格天井形式の区画に、蓮華蔓草に果実や人、動物などを配した複合蔓草文や、ハンサや水牛など動物の下半身を唐草化した文様、飲酒図などが描かれる〔図2・3〕、伸びやかな描線や繊細な色使いから卓越した画技が感じられる。廻廊およびヴェランダ天井画はほとんど剥落し、左隅にわずかに残るのみである。第2窟は、建築的特徴から第1窟とほぼ同じ頃の造営と見られる石窟で、後廊左右後壁にそれぞれ二ヤクシャ祠堂、パーンチカ・ハーリーティー祠堂を設ける点が特殊である。いずれの祠堂も寄進者の意向を反映したものとみられる。また、当窟は当初の計画ではない後世の寄進になる「千仏」や「舎衛城の神変図」が前室、左廊、後廊を中心に看取され、当初の壁画制作が未完に終わったことがわかる。但し、天井画は

元のページ  ../index.html#323

このブックを見る