鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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第16窟は、寄進銘からヴァーカータカ朝ハリシェーナ王に仕えた大臣ヴァラーハデーヴァによる寄進で、後述の第17窟と同じく、5世紀後半の造営として知られる。左右側廊の側壁画が画面途中で終わることから、造営過程に中断期が認められる石窟で、―316―落し、図像的にも殆ど判別不可能だが、わずかに残る人物像や建築物の表現から、第16窟左廊壁「ナンダの出家物語図」の筆致に近く、ヴェランダ側壁画が後期窟の中でも早期の制作になることは明らかである。天井画はヴェランダ、前室、仏殿ともに制作された形跡はあるが、彩色の黒変と剥落から当初の様子を全体的に把握するのは困難である。しかし、蓮華蔓草文は自然な形態を保ち、第1窟のごとき形式化は進んでおらず、描線も丁寧である。ヴェランダ天井は中央に円形文様を配し、その両側は、ヴェランダ列柱を基準に格天井形式の区画構成をとる。第11窟は、第6窟と同様に、窟内の簡素な列柱から後期窟の中でも初期の造営と見られ、また仏殿の本尊には脇侍が伴わず、その背面がストゥーパの形態を残しており、当初ストゥーパを造立する計画であったことがわかる。4本の列柱で囲まれた広間は、天井画の痕跡がわずかに認められる程度で、ヴェランダと庇部分の天井画が黒変するものの殆ど残っている。ヴェランダ天井〔図8〕中央に円形文様を設けず、ヴェランダ列柱を基準として格天井形式の区画割りが全体を占める。文様は動植物文や幾何学文などがみられ、形態的に第17窟天井画に近い。特筆すべきは、木造建築あるいは彫刻表現において、通常列柱の持送り部に表されるアトラス形ヤクシャが、天井ではなく、ヴェランダ後壁および台輪部分に表される点である。第15窟は現在、アジャンター化学班事務所として使用されている。前室および仏殿を備えるが、仏殿の仏坐像に脇侍を伴わず、後期窟の中でも比較的早い造営になる。広間天井画は下地のみが残る。仏殿内の天井は仏陀の頭上のみ残存し、前室天井は簡素な花文で装飾される。窟内列柱は簡素な面取りのみを施したもので、後期石窟の中でも比較的早い様相を呈する。前廊は木造建築を模し、彫刻で梁や桁さらに列柱と天井の接合部に持送りとしてヤクシャやミトゥナなどを表す〔図9〕。広間列柱も同様の計画であったようだが、寄進者の問題から工期を急ぎ、それら柱頭の持送り部を削ったことが列柱上部の湾曲と粗雑な削り残しからわかる。天井画は仏殿内を除き、制作された痕跡が認められ、前廊および右廊、広間の天井に断片的に残る。前廊天井は先述のとおり、彫刻による木造建築を模した表現が看取されるが、さらにその上から、蓮華文、動植文などが絵画によって表される。前廊天井でも右側壁に近い箇所では、彫刻表現の必要性がないと判断したらしく、絵画表現によって梁や桁

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