鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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第21窟は柱の形式が第2窟に類似し、また窟内の左右側廊および後廊左右に2連式の房室を設ける点においてさらに発展した構造を呈する。ヴェランダは天井画を残さ―318―クは、第20窟寄進銘に残るウペンドラなる人物の父に当たる人物が第17窟寄進銘に現れる人物と同一であるとして、第17〜19窟に加えて第20窟をも同一寄進者による造営とみて、第20窟の天井画制作を470年に帰す。しかし、第20窟広間天井の中央の蓮華円文と四つの小さな蓮華円文という構成は明らかに第2窟の区画構成に類似するもので、木造建築の模倣というよりも蓮華円文という文様の選択と配置によってより装飾的な色合いが強まっており、人物像を多用したモティーフの傾向も第2窟に類似しており、スピンク自身の編年における第2窟造営年代とも大きな隔たりが生じる。また、第17窟と同一寄進者であるならば、画工の共通性も少なからず考えられるが、様式的にも描き起し線が一様に太く粗野で、第17窟の特質とは全く異なり、第17窟広間天井に看取された蓮華蔓草も第20窟ではみられないことが指摘できる。ないが、窟内は前室および仏殿を除き、天井画が制作された形跡がある。全体として、ラピスラズリを多用する点が特徴的で、前廊天井中央の円形文様および矩形の隅〔図13〕は第2窟と同様の構成で、区画全体に唐草を巡らした精緻な文様に至るまで似ているが、形式化した文様ゆえ、粗雑な描写が一層目立つ。円形文様の左右および広間、廻廊の天井画は、格天井形式の区画割りを基本とするも、広間列柱の基準を超越して、さらに細分化した区画構成を取り、個々の区画が非常に小さくなり全体として複雑で密な印象を受ける。文様も唐草文や人物などヴァラエティ豊かだが、形態の単純化は否めない。後廊天井は描線も太く、簡素な蓮華蔓草を中心とした植物文で占められる。3 アジャンター後期僧院窟における天井画の区画構成以上、僧院窟に残る天井画を建築的特徴とともにみてきた。それでは、幾つかの問題点を整理しながら、木造建築の模倣から装飾化へと向う過程を追っていこう。まず、木造建築の模倣の中でも持送り部のアトラス形ヤクシャの扱いに注目すると、第11窟ヴェランダ天井では、格天井形式の木組みを区画割りの基本とするも、梁を支えるヤクシャを天井面に表現せず、立体的な木造建築の構造を重視して後壁にヤクシャを表していたのが、第17窟ではヴェランダを含む廻廊天井において、列柱柱頭の位置を梁とみなして区画の両端にアトラス形ヤクシャを表す。第17窟では窟全体としてその形式が遵守されているが、後廊ではわずかに1体のみが表されるに過ぎず、その形式が破綻し始め、第1、2、20、21窟では基本的に格天井形式の区画構成であるが、

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