鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―319―ヤクシャ像の模倣はみられない。ヤクシャ像の消滅は、天井装飾が木造建築の模倣を脱し、絵画という技法に拠って純粋な装飾化への一途を辿り始めたことを示唆するものといえる。次に広間天井画の区画構成についてみると、第17窟広間天井は中央の円形文様を中心に幾重にも矩形の装飾帯が取り囲む構成で、第1窟では、格天井形式の区画割りが広間天井にも導入され、さらに複雑な様相を呈するようになる。この変化の要因は、後期窟初期窟の広間の建築構造に辿ることができる。第6窟下階は広間に多数の列柱を配し、天井画は、その列柱の梁で囲まれた空間を一つの単位と見て、円形文様あるいは同心状の矩形装飾帯を描く。第17窟作例は第6窟下階や第11窟の区画構成を踏襲し、廻廊と広間を隔てる列柱で囲まれた空間を一つの空間と見做し、同心状の円形文様と矩形装飾帯による構成がなされたと捉えることができる。一方、第16窟広間天井は広間列柱を区画構成の基準とするも、中央の大きな蓮華円文と矩形装飾帯を囲むようにさらに小円形文様を周囲に廻らし、第17窟の前段階として、むしろ第6窟に近い空間の捉え方とみることができる。それでは、視点を変えて、円形文様に注目すると、前章に挙げた石窟の中で円形文様を表現しないのは第11窟ヴェランダのみである。第17窟や第16窟では、ヴェランダにも円形文様を採用するようになり、その後は、ヴェランダ、前廊、広間、後廊、前室、仏殿へとまさに石窟の中心軸に円形文様が直線上に並ぶ。第11窟ヴェランダにおける不表現は前室を持たず、仏殿にストゥーパの名残がみられるように、後期僧院窟の建築構造が確立される以前の窟であることとも関係があろう。第17窟以降、石窟の構造が定まり、円形文様の配置も定型化するようである。最後に文様について触れておこう。モティーフや文様の詳細な分析は今後の課題となるが、一連の区画構成の変遷に伴う装飾モティーフの変化を簡単に纏めておこう。前期石窟の装飾文様は、蓮華文・蔓草文のみであったが、後期石窟に至って、その装飾概念が一変したことはこれまで見た作例からも明らかである。広間天井画では、第16、17窟では中央の蓮華円文の周囲を巡る方形区画の一つに蓮華蔓草の文様帯が看取されたが、上述のごとき広間天井の区画構成の変化に伴い、第1・2・20・21窟では見られなくなる。チャイティヤ窟である第19窟の側廊天井画では第17窟広間天井の蓮華蔓草と同様の表現が見られ、第17窟寄進銘の記述の通り、両窟の造営が近しい関係にあることがわかる。また、人物や鳥、動物の下半身が唐草化した複合唐草文は、第16、17窟において既に登場するものの、格天井形式の区画を比較的ゆったりと使用しており、第1、2窟では、唐草文の抽象的な形態が隙間を充填

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