鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
329/535

―320―『マハーヴァンサ』、『アルタシャーストラ』に記される「マハ(ストゥーパ祭り)」や『ディーガ・ニカーヤ』、『マハーバーラタ』にみる「サマージャ(=祭り)」についてするのに自由自在に描きうるという特性を熟知して、区画の隅までも複雑に絡む唐草を表すようになる。決して細部描写への執着ではなく、唐草の、特別な配慮を必要としない性質を上手く利用したものといえ、第20窟前廊にみる複合唐草文は、一見複雑に見えるが、描写としては繊細さに欠け、形式化された感は否めない。このほか、第1、2窟ではペルシャ人風の人物の飲酒図がみられ、当時の西方との交易だけでなく、寄進者の周辺環境をも示す主題といえるが、それ以上に、第2窟および第20窟では人物主題が増え、特に後者では動物の闘技、力士、軽業師、舞踏、糸紡ぎ、赤ん坊といった主題が表される。以上のような世俗的主題については、今後、検討する余地もあろう。結語天井画からみる各窟の前後関係については先述の章で適宜言及したため、新たに整理することはしないが、最後に、僧院窟における天井画の区画構成の変遷について纏めておこう。僧院窟は、前期石窟における房室のみの空間から、窟奥に仏殿を置く新構造へと発展したことに伴い、寄進者たる在家の関与によって煌びやかな荘厳空間へと大きく変貌を遂げ、説話図や尊像図のみならず、柱や天井に至るまで絵画装飾が施されるようになる。なかでも天井装飾は側壁画以上に、石窟の空間構造と密接に連関するかたちで発展を遂げたといえる。すなわち、天井は彫刻による木造建築の模倣から絵画による表現に移行し、列柱を基準とする格天井形式の区画割りが基本形として確立された。一方、広間天井では、第6窟下階や第16、17窟といった早期の窟では、列柱で囲まれた空間を一区画と見做す傾向があり、円形文様とそれを囲む矩形装飾帯で構成がなされた。その後、石窟の空間構造に応じて区画構成や文様などに変化が生じ、第1、2窟のごとく廻廊天井にみられた区画構成が広間天井に応用され、第21窟では建築的空間構造を重視した構成から、基本の区画構成をも逸脱した純粋なる装飾化の波が訪れる。本小稿では、天井画の区画構成の変遷を辿ることによって各窟の相互関係を提示した。区画構成の変遷に伴う文様の変化など、さらなる詳細な研究が必要ではあるが、アジャンター後期窟の編年問題の解決の糸口となりえたのではないかと思う。

元のページ  ../index.html#329

このブックを見る