鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―328―4.大正から昭和いわゆる大正デモクラシーの中で、大人の文化とは異なる子供対象の独自の文化が必要だとする思想に基づき、児童向けの雑誌、絵本などの出版が盛んになり、童謡も作られる。そのような時代を反映し、これまではあまり染め模様などの付けられることのなかった(注11)男児の日常着にも独自の文様が施され、ボンチ柄と呼ばれるようになる。それは伝統的な吉祥、乗り物、玩具などを染めたり、織り出したりした布であるが、戦争柄もまた男児に相応しい文様として定着する。また、この時代には女性の帯地、着物などの戦争柄も増える。ボンチ柄の着物の素材は木綿か、モスリンを使用したものが多い。それらは堅牢性と暖かさで非常な人気のある素材で、特に洗濯に強いことから男児向けに相応しい素材と考えられた。当時はまだ自家生産の麻を手織りして着ていた貧しい農家の子供などには、文様のある綿やモスリンは高嶺の花であり、戦争柄を含むボンチ柄の着物は、消費経済の中にいる裕福な子供のステイタスを示す物ですらあった。5.子供姿の兵士ボンチ柄の戦争柄と、明治期の大人向けの戦争柄との大きな違いは、成人の兵士の図柄に加えて、子供の顔や姿態の兵士が登場することである。一見すると子供達の兵隊ごっこの図かとも思われるが、艦船、飛行機、戦車などの表現や軍装が正確であり、本当の兵士の姿を子供の姿態に置き換えたものであろう。このような表現が生まれた背景としては、伝統的な子供向けの柄の中の唐子や御所人形が成人のさまざまな営みを子供の姿で再現している文様がすでに存在することが考えられる。実際に御所人形などが近代兵器で戦う図柄もある。〔図9〕の例は、腹掛けだけの半裸体に鉄帽(昭和5年制定の90式鉄帽)、銃剣、背嚢、軍旗などを伴う御所人形の兵士で、戦車はフランスから輸入したルノー戦車であることから、満州事変以降、昭和10年までの作と推定される。子供姿の兵士の大部分は大正期に流通し始めた童画風の表現による兵士であり、そのリアルな軍装の中でさまざまな戦場の場面を再現している。例えば、〔図10〕は抜刀した馬上の連隊長と陸軍軍旗を掲げた軍旗少尉と兵士たちである。着用しているのは昭和5年制定の昭五式の軍服であり、この布は昭和5年から10年頃のものであろう。

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