―329―6.地図と地球儀昭和になると地図や地球儀の文様もさまざまに展開し、それは大きく3種類に分類することができる。一つは地球儀の中に日本を表現するもので、この場合は地球儀全体に対して日本が大きすぎ、南半球などで矛盾が生じることが多い。明治時代から発行され始めた雑誌には、海外雄飛を誘うのか、または広く世界に知識を求めようという謂なのか、表紙絵や挿絵に地球儀を描くものがかなりあった(注12)。図11は正に世界を股にかける少年兵であり、いやが上にも戦意を高揚させるであろう。その他にも飛行機と共に描いたり、中国や満州の風景と共にあしらったりと地球儀は人気のあるモチーフである。二つ目は日本の領土を示す図柄で、朝鮮半島、台湾、満州、樺太などを日本と同色に塗る。この種の領土拡大の成果を示す地図柄は非常に多く、その領土の範囲から製作時期を特定できるという面もある。〔図12〕の帯はオランダ領インドネシアが日本領になったことを示すものであり、昭和17年の作であろう。一般的には昭和15年7月7日に出た贅沢禁止令(七七禁令とも言う)の以降には派手な帯や着物は作られなかったとされるが、これには制限品である金糸が使われており、一部有力者の間では禁令は無視しうるものであったという俗説を裏付けるものである。三つ目は中国国内での作戦地図のようなもので地形、地名などが細かく書き込まれている。〔図13〕は上海地域の地図を正確に再現している。この当時は新聞にも日常的に中国地図が掲載されており、見慣れたものの一つであったに違いなく、中国の地図の柄は珍しいものではない。7.人の表現爆弾三勇士の文様にもいくつかの種類がある。〔図14〕は帯皮であるが、三つの鉄兜、Bakudan Sanyuusiというローマ字、月桂樹の葉が描かれたモダンな図柄である。この他にもやはり三つの鉄兜が描かれた羽裏がある。こちらには工兵を表す十字鍬、鉄条網、破壊筒、三勇士の爆死を伝える新聞記事、周辺地図なども描かれる。また、三勇士と漢字で書き、鉄条網と桜を配した絣の着物もある。更に三人の可愛い子供姿の兵士が敬礼する横に三勇士を讃える歌詞が書かれた染め柄もある。将が中心であった明治の戦時報道に比べて徐々に兵の活躍へと注視が移行していく時代を反映するのか、当時の三勇士人気は大変なもので、映画(5本)、芝居、レコード(6種類)、浪曲、グリコのおまけ、清酒、饅頭などに及んだ。着物に三勇士が登場するのも当然ではある。
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