鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―331―また、現実の軍用犬は〔図17〕のようなシェパード、ダルメシアン、ドーベルマン等の西洋犬だったのだが、着物の図柄としての軍用犬のほとんどが白と茶のぶちの垂れ耳の日本犬で、しかも子犬としての表現が多い。これは兵士を子供の姿態で描くことが多いためにそれに伴う犬を子犬の姿とし、また、日本画に描かれる子犬の多くが白と茶、または黒のぶちの子犬であることからの影響かと思われる。馬については、当時の戦場で馬無しの陸軍は考えられなかったことは周知であり、将兵を描くに際して馬が登場するのは当たり前であった。9.終わりに字数の関係で、本稿では語り尽くせなかった事柄が多々ある。戦文様には軍歌の歌詞と楽譜が大量に描かれるが、用いられる軍歌の種類は意外に少ない。また文中でも一部を紹介したように軍艦、戦車、戦闘機などの表現は精巧で、年式、性能が見分けられる。すでに年式の特定が終わった200枚ほどの布と、残りの150枚を調査し、製作の最盛期について考察したい。また昭和になると満州、ナチス、などの旗文様が増加する。新聞記事をそのままコピーしたような文様も多く、戦意高揚に関連する富士山や桃太郎が戦車や軍艦と共に描かれた図柄も大量である。更に幻の東京オリンピック、朝日新聞社の神風号による訪欧飛行、ニッポン号の世界一周などの国威発揚的な図柄も今後の課題である。伝統的な鎧兜の文様は実際は兵器であっても端午の節句などに関連する吉祥として現在でも男児の着物柄として健在である。しかし、軍艦、戦車、大砲などの近代兵器は昭和20年以降は吉祥の中から姿を消した。これは日本画におけるよりも洋画における戦争責任の方がより熱心に追求された事実と似ているのかもしれない。明治時代から、戦場を写実的に描けるということを洋画の優位性とする論調が盛んであった。その故に藤田、小川原らは責任を問われ、抽象的な戦意高揚はあまり追求されない。しかし、あらゆる人の営みはそれを遂行する者の意欲にかかるのであり、守るべき国土、愛すべき伝統を提示する方がより効果的なプロパガンダだという場合もあろう。着物というすでに現代では非日常の衣服となった存在の果たした役割について考えることは、実は今日と明日の我々の営みへの考察ではないだろうか。最後に、本研究に当たっては、奥西美知子、藤井健三、田中翼、田中哲男、堀切辰一、堀内泉甫、永田欄子、公庄れい、前川裕弘、小田原芳明、株式会社田村駒、久留米絣技術保存会、その他の皆様の多大なご助力を頂戴しました。記して深く感謝いた

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