鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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キャンバス裏に筆書きされた作品名と萬鐵五郎(鉄もしくは銕)五郎の名があ キャンバス表に「1926」の年記もふくめたモノグラムがつかわれていること〔図9〕■寸法が縦約33.0センチメートルで横約45.0センチメートルであること―338―・「鐵人會」のために制作された作品どのような絵画を頒布したのかわかるよう朔品名とその図が記録されている。名簿と台帳の二冊によれば、大正11年の一年間でひとまず終了した「鐵人會」は、同11年の会員とは別の会員によって大正14年から再開されたとかんがえられる。『會員名簿 鐵人會』『鐵人會臺帳 東京の部』には「島田氏に託す」「江口氏からの紹介」や「増田氏からの紹介」などメモ書きがなされている会員もいる。同11年の「鐵人會」が、数人のパトロン的存在の知人によって結成されていたのにくらべ、大正14年からの「鐵人會」は人と人のつながりでひろがった人脈によって結成されたものと推測される。会員のなかには「鈴木三重吉」という児童雑誌「赤い鳥」を創刊した人物の名もあり、これまで知られていなかった萬鐵五郎を中心にした人的交流がうかがわれる。しかし、会員のひとりひとりがどのような人物であったのか不明な点もおおく、今後さらなる分析が必要である。萬鐵五郎が「鐵人會」のために制作した作品には、「鐵人會」の名と数字の版がおされたラベルがキャンバスをはる木枠の内側に貼られており、そのラベルの有無が判断基準のひとつになる〔図1〕(表)。現在確認できているラベルのある作品は6点である〔図2〜7〕。6点という数少ない点数ではあるが、以下のような三つの共通点があり、それらが「鐵人會」用の作品の特徴とかんがえられる。ること〔図8〕とくに寸法にかんしては、「湖山風景」(萬鐵五郎記念美術館所蔵)や「風景」(ウッドワン美術館所蔵)のように、キャンバスの端に鉛筆の枠線がひかれている作品もあることから、萬は仕上げの寸法が同じになるように、大きなキャンバスにあらかじめ鉛筆で線を引き、その線にそってキャンバスを切断したとかんがえられる。「鐵人會」ラベルに数字が付されていることはすでに述べたが、この数字は作品ごとにちがっているため、おそらく作品それぞれにつけられた作品番号とおもわれる。したがって、6点のうちでもっともおおきな数字がつけられた「紅葉風景」(愛知県美術館所蔵)の数字「68」が、現在推測しうる「鐵人會」用の作品数といえる。こうしたさまざまな特徴をふまえて大正15年(1926)頃に制作された作品をみわた

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