鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―339―せば、「鐵人會」ラベルがなくとも、上記三つの共通点がある「海岸風景」(茅ケ崎市美術館所蔵)「秋江風景」(愛知県美術館)もまた「鐵人會」のために制作された作品としてあげられるのではないだろうか〔図10、11〕。ほかに、現在では所蔵が不明で、かつて画廊に所蔵されていた「黎明風景」「湖山風景」も、画廊での調書によって「鐵人會」用の作品ではないかとかんがえられる〔図12、13〕。このように、信憑性のたかい作品もあわせると、現時点では、10点が「鐵人會」用の作品としてあげられるだろう。さらに、萬鐵五郎の作品を網羅的に所收している『萬鉄五郎画集』(日動出版部、1974年)や『万鉄五郎展』図録(新宿・小田急百貨店、1972年)、『平塚市美術館会館記念展 湘南の萬鐵五郎』図録(平塚市美術館、1991年)、『絵画の大地を揺り動かした画家 萬鐵五郎』図録(東京国立近代美術館、1997年)そして『鐵人會臺帳東京の部』を確認すると、「鐵人會」用の作品ではないかと推測される作品がすくなくとも静物画9点、風景画14点はかぞえられた。しかし、68点もの点数を推測できるにもかかわらず、「鐵人會」用の作品の候補としてあげあられるのが現在では推測の域を出ない作品もふくめて33点をこえないのは、売り絵のための画会という「鐵人會」の性格によるのであろう。つまり、個人蔵の作品がほとんどで、しかも世に出ていない作品が数多くあるということになる。萬鐵五郎の大正15年頃の画風をあきらかにするためにも、今後、さらに調査をつづけ作品を見出す必要があるだろう。さて、推測の域を出ない作品もふくめて「鐵人會」用の作品を概観すると、静物画と風景画の2種類から構成されているようである。静物画ではおもに、机上に置かれた野菜や果物、布や瓶、そして花瓶にいけられた花などが配されている。花はいずれも枯れかかって様子がえがかれている。風景画はほとんどが、当時萬が居住していた茅ケ崎のおだやかな風景で、点景人物がえがかれる場合は、茅ケ崎ではたらく猟師や農夫である。大正12年以降、人物を主題にした作品やキュビスム風の技法をもちいた作品が春陽会展に出品された一方で、たとえば第四回春陽会展(大正15年2月26日〜3月31日、上野・竹の台陳列館)に出品された「湘南風景」(東京国立近代美術館所蔵)とおなじような図様が「風景」〔図3〕にもえがかれたり、頻繁につかわれた人力車をひく車夫が「風景」〔図6〕にもえがかれたりしている。こうした状況をふまえると、萬は公募展であれ会員制の画会であれ売り絵のための画会であれ、図様やモチーフを区別してつかっていたわけではなかったとかんがえられる。それでは、画業においてさまざまな性格の画会を数多くひらいてきた萬にとって、公募展以外の画会とはいったいどのような意味をもつのだろうか。そして「鐵人會」はどのように位置

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